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最高裁判所第三小法廷 平成6年(あ)552号 決定 1996年12月13日

本籍

静岡市八幡一丁目六番地の九

住居

静岡市有永九二六番地の四

会社役員

望月滿夫

昭和一〇年一月一六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成六年四月一三日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人杉山繁二郎、同小川秀世、同黒柳安生の上告趣意は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

平成六年(あ)第五五二号所得税法違反被告事件

被告人 望月滿夫

上告趣意書

平成六年一〇月二〇日

主任弁護人 杉山繁二郎

弁護人 小川秀世

弁護人 黒柳安生

最高裁判所第三小法廷 御中

第一 法三二一条一項二号後段違反・憲法三一条違反

坂本及び信子の検面調書の証拠評価の誤りについて

一 法令違反そして憲法違反

弁護人は、控訴趣意において訴訟手続きの法令違反として、法三二一条一項二号後段但書(特信状況)及び法三二二条ないし法三一九条(自白調書の任意性)の二点につき主張した。これに対し、控訴審判決(判決書五頁から三七頁)は、第一審判決を修正しつつもその結論を支持し、右二点につき、いずれも法令違反はないとした。

前者は坂本征生及び望月信子の検面調書の特信性を認めて証拠能力ありとしたことに対してであり、後者は被告人の自白調書の任意性を認めてこれまた証拠能力ありとした。

以下においては坂本及び信子の各検面調書に特信性ありとして証拠能力を認めた控訴審判決の誤りにつき、その法令違反、そして憲法違反について主張する。右各検面調書の役割からすれば、その証拠能力を認めた訴訟手続きの法令違反は、当然に判決に影響を及ぼすものであり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものである(法四一一条一号)。

そして控訴審判決における右特信性判断においてなされた証拠評価は、厳密な検証や吟味に基づかない単なる解釈や、推認等によって被告人に不利な方向に評価するという一般的傾向がある。有利な方向に評価することが推認できたり解釈することができる場合にも、片面的な方向への評価に終始しているのである。自由心証主義を文字どおりに理解し、裁判官に最高度の洞察力のあることを前提とするならば、そのような評価態度も是認されるかもしれない。しかしそれでは誤判を避け得ないし、法も憲法もそのような前提には立っていない。

自由心証主義が要求する客観的な心証形成の為には、先ず有罪証拠の各個について厳密な検討をして、その各個の証拠の証明力とその限界を確認すること、それぞれの証拠の誤謬可能性について十分な吟味をすること、特に供述については証言心理学的基礎に照らして信用性を判断すること、数個の証拠が符号しているからといって安易に信用せず、人為的に符号させられた可能性の有無を必ず検討すること、そして供述史の検討が必要である。

以下控訴審判決の内容の誤りにつき、具体的検討をするが、右のような控訴審判決における証拠評価の誤りは、単に法三二一条一項二号後段但し書き違反という控訴手続きの法令違反にとどまらず、憲法三一条の適正手続き違反となる(法四〇五条一号)。

憲法上の証人審問権(憲法三七条二項)をうけた伝聞法則(法三二〇条以下)をとることによって果たそうとした最大の課題が、調書とくに捜査書類の多用の規制にあったのであり、その伝聞法則の例外規定である法三二一条一項二号後段は、正に刑事手続の適正を確保すべき本質的な重要な規定である。

憲法三一条は、「法の適正手続き」を保障するものであるから、刑事訴訟法中刑事手続きの適正を確保するに本質的と考えられる重要な規定で憲法の他の規定に包摂されていないものは、右三一条違反となる。

二 控訴審判決における坂本及び信子の検面調書の役割

本件の争点は、教江名義の取引が名義人本人に帰属するのかそれとも被告人の取引となるのかであった。

表示された形式からすれば名義人本人である教江に帰属するのであるが、取引の銘柄選定や注文するのが被告人によって行われ且つ取引の帰属は名義人でなく被告人であるという取引名使用届出書が作成されている。株取引を他人に一任したりする事自体珍しいことではなく、夫婦間しかも本件のように共同経営者でもある夫婦がその一方の資産を運用してやることは間々見られる。従って、銘柄選定や注文者自身が被告人であったとしても、それが帰属についての結論を直ちに左右することにはならない。

もっともこの点につき控訴審判決は、一任売買や夫婦をめぐる株取引につき何等の考慮をする事もなく、その取引行為者は被告人であったことと本人とされる者が本人のように取引行為者から遇されていなかった等という事情から、実質的取引の帰属主体を被告人とする強引な認定を行っている。この点は、事実誤認の別項で論述する。

ともかく本件教江名義の信用取引の帰属主体が被告人となるという表示のある取引名使用届出書の作成経緯が問題となり、誰がどのような認識のものに作成したのかが争われた。

控訴審判決の認定は、被告人自身右文書の意味内容を理解した上で望月信子に作成を指示したというものであった。その認定根拠は、右坂本及び信子の公判での証言ではなくそれとは相矛盾する捜査段階の検面調書を証拠として採用することによっている。

従って、右調書の証拠能力が否定されれば、あるいはその信用性につき疑問が生ずれば、取引名使用届出書をその文書内容のとおりの証拠として採用することはできず、教江名義の取引に付き被告人への帰属は到底認められなくなる。

以下では、控訴審判決に対する反論を中心に述べる。

三 坂本検面調書採用の誤り

1 各供述時に坂本の置かれていた立場ないし状況

控訴審判決は、検面調書の特信性を判断するために、検面調書作成時と公判供述時の坂本の立場、状況を検討している。

その中で先ず、検面調書の作成時坂本は、被告人に対して大きな負い目を感じていたと推認されるとし、負い目を感じている者が、記憶に反してまで敢えて被告人に不利益な供述をして署名押印をするのは、坂本のあげる理由では不自然である、とした。

右坂本のあげた理由として、控訴審判決は、「取調が長時間に及んで疲れたとか、面倒だ」といった程度の理由でしかないと摘示するにとどまる。

確かに坂本は、検面調書作成時において、被告人に対する大きな負い目を有していた。しかし、坂本のあげる理由は単純な長時間取調の疲労とか、面倒だという理由でないことも明らかである。

坂本検面調書は、坂本にとって、「非常に権限をもっていて努力しないと営業停止」にもなる「そういう国税の査察官」から取り調べられた査察官調書の要約として作成されたものである。長時間の調べで疲労もあった上、査察官から「合算課税で取ることに決まったから」と言われ、それなら本当のことをいくら言っても徒労に終わるということであった(控訴審第二回公判調書速記録一二丁、一三丁)。

証券会社にとって、いわば生殺与奪の権限を有する大蔵省に属する国税庁の強制捜査によって、作成された査察官調書の上塗りされたのが本件坂本検面調書である。証券会社にとって、大蔵省、国税庁の強制査察は、一般的な市民への警察による強制捜査と趣を異にする。特に、取引名使用届出書を作成していること自体「通達違反」であり、「国税に目をつけられると証券会社に対する不利益が生ずることになり」、だから坂本は調べに「素直に応じたというが、ちょっと弱みを持って」いたのである。

証券会社の存在自体に関わってくる監督官庁による強制査察は、顧客に関する事項であれば、証券会社は勢い査察官に迎合的になる。顧客を売ってでも会社を守るという関係である。切り捨てられるのが、一般消費者である。

そうした強制査察の中で作成された査察官調書の要約である検面調書が、控訴審判決の言う「坂本の負い目」と単純な「長時間取調べと面倒」という綱引きの問題に帰着するわけではないのである。

秤の軽重につき検討が欠けているのである。証券会社社員の顧客消費者に対する「負い目」は、容易に査察官への迎合によって押し流されるのである。

更に控訴審判決は、「捜査段階においては、被告人もおおむね事実を認めて争わない態度を示していたこと」を検察官の調べは強引なものでなかったことの証拠としている。しかし逆にその事実は、坂本が査察官や検察官の調べで、敢えて真実を述べなくても良いという、迎合的な対応になったことの証左でもある。

以上坂本が有していた被告人対する「負い目は」、控訴審判決が認定するのとは逆に、公判廷になって初めて査察官調書及び検面調書への迎合から解放され、検面調書の内容を敢えて翻し、自己の記憶に沿った事実を供述する理由になったということなのである。

2 次に控訴審判決は、「取引名使用届出書を徴する趣旨の観点」からの信用性の検討をしている。

「顧客から取引名使用届出書を徴する場合には、顧客に対して書面の趣旨を説明し、その納得を得て徴すべきであるから、被告人の確認をとらないで、信子に記名押印してもらったのではないかという坂本の原審公判廷での供述は合理性に欠ける。」とする。

控訴審判決の「合理性に欠ける」という証拠判断をするには、坂本が取引名使用届出書を徴する趣旨を理解していたのかどうかということ、仮に理解していても被告人の納得を得るにつき何らかの障害はなかったのかということが吟味されなければならない。

先ず坂本の理解については、本人の原審供述によれば結局のところ、書類を徴する目的やその重要性につき理解していなかったということになるが、これを控訴審判決は「坂本は昭和三八年入社のベテラン営業マンであり、当時、同証券会社静岡支店の営業課長の地位にあったこと等に徴し、右供述は到底信用できないと。」した。

ところで坂本は、教江名義の信用取引開始後、総務課長から指示され取り付けた「取引名使用届出書」の作成経緯について記憶自身があいまいであり、現にこうした決定的な趣旨を有する書面でありながら、坂本の検面調書には書面作成の経緯が述べられていない。しかも、本件では信用取引が既に開始された後に徴されたことが明らかであり、坂本自ら必要として取り付けた書類でもなく、また坂本自身、後にも先にも作成に関与した種類の書面ではないことから坂本にとっては、記憶に残らなかったのである。

中小証券会社の支店営業課長である坂本は、営業的能力については長けていたと思われるが、取引名使用届出書を巡るいわゆる法律行為について解釈するような能力は、必ずしも要求されていなかったし、彼自身持ち合わせていなかったということは十分推認できる。

理解していなくても、それで営業課長は、十分勤まるのである。

いわゆる総括伝票の管理も杜撰で、その計算方法もいい加減にしかしていなかったことがうかがわれる坂本である。取引名使用届出書については、ベテランの営業課長ということをもって、その内容を当然認識していたというのは、余りに片面的に過ぎる。

仮に控訴審判決のように坂本に取引名使用届出書が重要な書類であることの認識があったとしても、被告人の納得を得るにつき障害はあった。坂本が右書類の文言どおりの効果が生ずることの説明をすれば、被告人は応じないであろう。そうかといって既に教江名義の本件取引は開始されている以上、総務課長から指示されて徴さなければならない書類である。坂本にとっては、被告人は一番の大口顧客であり失いたくない。そしてその書類を徴したからといって、必ず税務署に明らかになる書類ではないこと等からすれば、坂本が被告人に書類の内容を確認させないまま信子に記名押印を求め、信子はその内容を良く確認しないまま記名押印をしたということの推認もできるのである。

3 以上坂本検面証書に特信性を認めて証拠採用を是認した控訴審判決は、その特信性の有無判断における証拠評価がいずれも片面的でその吟味を欠き、法三二一条一項二号後段違反というにとどまらずその法令違反は、憲法三一条にも反するのである。

四 信子検面調書の採用の誤り

1 控訴審判決特信性認定の根拠

控訴審判決が、信子の検面調書に特信性ありとした根拠は、坂本及び被告人の各検面調書と符号していること、信子は被告人の弟の妻であり、被告人経営会社の事務員というばかりか被告人ら個人の金融資産の管理にまで関わっている者という被告人と信子の関係から、信子が自己の記憶に反してまで被告人に不利な事実を供述するとは思われないということにある。

そして、信子の述べる検面調書の内容を公判廷での供述で否定する理由は、不明確であること、或いは時間的経過に従って被告人に有利な証言に修正していること、検面調書は、被告人が検察官に憤慨していた翌日作成されたこと等をあげている。

しかし以上の根拠は、いずれも片面的な証拠評価である。

特に信子が検面調書において記憶に反した供述をしたのかという点については、その作成時の状況を検察官の認識という面から検討することによって信子のあげた理由が、如何に合理的であり自然なものであるかが分かる。

2 検面調書作成時の状況―検察官の誤解

一審及び控訴審において、信子の検面調書には特信性のないことの根拠として、検面調書作成検察官が、信子の質問顛末書中の「承諾書」という文言を取引名使用届出書を指していると誤解していることを主張してきた。

これにつき、控訴審判決は、検面調書作成時に誤解していたかどうかは不明であり、その誤解問題が検面調書の内容に影響を及ぼしたとは思われないとしている。

しかし鈴木検察官の供述は、法廷での供述時だけではなく、明らかに検面調書作成時にも誤解していたことを認めているのである。

弁護人の「承諾書と届出書とは明確に違うものですね。」との問に対して、鈴木検事は「同じものを意味しているんじゃないんですかね。」と答え、続けて取調当時自分は「そう(承諾書と届出書が同じもの)思ったはずです。」と断言した。これをもって控訴審判決のように「信子を取り調べた時にそのように判断していたと述べているわけではない。」などといえようか。

つまり、望月信子の質問顛末書(甲第二九号五丁昭和六二年九月一〇日付)にある「信用取引にともなう承諾書を代筆して証券会社の人に渡しております。」との供述内容を、「届出書を代筆して証券会社の人に渡しております。」と「読んだ」ということであり、同女の検面調書作成にあたっては「取引名使用届出書」のみを示している。

以上から鈴木検察官においては、信子が査察官調書で「承諾書」と表現した書類は、検察官が彼女に示した唯一の書面「取引名使用届出書」そのものという認識であったことは疑いをいれない。

弁護人はこれを検事の誤解と主張したのである。

信子にとって査察官調書作成時に「取引名使用届出書」の記憶はなく、検面調書作成時に検察官から「あなたが書いたでしょう。」と右「届出書」を示され、「つくづく中を読んだわけです。中を読んだのは初めて」であった。「大事なものだったんだなと思い」「本人からの指示」で作成しないとおかしいという思いにさせられ、被告人の指示で作成したという供述を作られてしまった。(五回信子調書一八丁裏)

3 「誤解」と特信性への影響

検察官は、信子の質問顛末書の「承諾書」を「取引名使用届出書」と誤解した上で、彼女の取調に入り、誤解したまま検面調書を作成した。

そもそも検察官においては、信用取引の開始において、必要とされる書類の種類や作成経緯等の流れ等に注意を払っていなかった。もっとも、まさか査察官が、最重要証拠の「取引名使用届出書」の代筆者である信子に対して、その作成経緯につき質問せず、調書も作成していない等とは、思ってもみなかったのかもしれない。

ともあれ信子に対する取調の唯一の目的は、この「届出書」の作成経緯であるとするならば、質問顛末書に「承諾書」と記載してあれば、検面調書作成にあたり「承諾書」となっているけれど、「届出書」を指しているのではないか、あるいは「届出書」も含んでいるのではないか等の確認を要求されるのが当然である。しかし、全くそのような確認をする事はなかった。

要するに検察官は、査察官の取調において、信子は全面的に認めていたと考えていた。信子の質問顛末書を、「取引名使用届出書」につきその内容を被告人も信子も認識したうえで作成されたものですと、読んだのである。

だから簡単にその内容を検面調書で確認するだけで足りるとして取り調べたのである。

そして検面調書では、「取引名使用届出書」を示され、それは被告人からの指示で作成したとの内容になっている。

いうまでもなく原判決の有罪認定の最重要証拠が右「届出書」の真正な成立なのであり、調書の「命」はそこにある。確かに検面調書は、形式的には最低限の事実を押さえてあるといえるかもしれない。

しかし、「届出書」につき全くふれていない質問顛末書をして信子が全面的に認めている。つまり「届出書」を被告人の指示で作成したと供述したと誤解していたことこそが問題なのである。

こうした誤解のよって来る原因は、単純な検察官の軽率さや不注意で済まされるものではない。

必罰的な抜くべからざる極めて強い予断である。

検察官の頭には信子の代筆による「取引名使用届出書」しかなかった。それによれば、本人名義以外の取引をするがその帰属は本人であることを認める、つまり本件では教江名義ではあるが被告人に帰属する取引であることを認める内容となっている。

その「届出書」を代筆したのは、被告人の経営する会社の経理担当者であるとすれば、被告人がその内容を認識した上で、作成を指示したものに違いない。

こうした強い予断があったからこそ、信子の査察官調書を文字どおり「素直」に読み、それは取調目的との関係でポイントをはずしていないか、はずしているとすれば何故そのような内容の調書になったのか等など、謙虚にしかも真摯に検討すべき姿勢を欠落してしまったのである。そうした被告人に対する脱税への検察官の抜き難い予断は、査察官調書と検面調書の重要なズレを検察官自身が認識さえしていないという象徴的事実によって明らかとなったのである。

そしてこの検察官の予断は、当然に検面調書の信用性に影響せざるを得ない。

検察官の取調は、言ってみれば質問顛末書で認めたことの「念押し」なのであり、それだけで短時間で済んだということをも併せ考えると、弁解するような余裕もなく早く解放されたいという気持ち、更に金で済むならという社長=被告人の考えなどから、迎合的に供述したという信子の公判供述にこそその信用性がある。(第一審弁論要旨一九九頁、二〇〇頁)

4 以上信子の検面調書作成時の検察官の予断と誤解は否定すべくもないのであり、そうすると控訴審判決のあげる信子の述べた検面調書否定の理由がいずれも自然であり合理性があること、信子の謙虚な弁解が、よりその信用性を際だたせることになる。

信子の検面調書には特信性がなく、法三二一条一項二号後段の書面として採用すべきでないのに採用した誤りがあり、この法令違反は適正な刑事手続きの重要な規定の違反であり、憲法三一条違反となる。

第二 法三一九条一項、三二二条一項、三一七条、憲法三一条違反

一 法三一九条一項、三二二条一項、三一七条、憲法三一条違反

1 控訴審判決には、被告人の質問てん末書及び検面調書がおよそ法三二二条の供述録取書とは言えないにもかかわらず、証拠排除しなかったところに、法三一九条一項、三二二条一項、三一七条、並びに憲法三一条違反がある。つまり、控訴審判決はおよそ証拠足り得ない性質の文書を事実認定の資料にしたもので右刑事訴訟法の規定に違反することはもとより、これは刑事裁判の事実認定における重大な手続き違反であるから、憲法三一条の要求している適正手続きにも違反することになるからである。

2 また同時に、被告人の質問てん末書及び検面調書は、任意性を有しないものであることからも、同様に右刑事訴訟法の規定に違反するとともに憲法三一条にも違反するものである。つまり、憲法三八条一項は黙秘権を保障したものであるが、任意性のない供述は、黙秘権を侵害する証拠として事実認定の用に供されるべきではないとするのは、憲法三一条の適正手続きの要求するところでもあるからである。

3 さらに、右法令違反の点については、その違反が判決に影響を及ぼすべきことが明らかであり、右法令の重大性に鑑みれば、控訴審判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるものである。

4 よって、右の法令違反、憲法違反は、法四〇五条一号の上告理由であり、さらに法四一一条一号の破棄事由ともなる。

以下、右の点についての控訴審判決の問題点を、具体的に論ずる。

二 質問てん末書、上告書の作成状況

1 控訴審判決は、被告人の質問てん末書及び上申書の証拠能力に関して、以下の部分につき重大な誤りを犯している。すなわち控訴審判決は、「松原らの行なった質問調査は、原則として同人が質問を発し、被告人の応答がある都度、松原らがそれらを飯村に口授し、同人がそれらを調書に記載していくという逐次録取方式により作成されており、被告人は、右口授を傍らで聞いているため、調書の記載終了後に改めて読み聞けや被告人の閲読がなされなくても、その内容を承知の上、署名押印したものであること」と認定している。

2 しかしながら、査察官と別の査察官との間で、質問てん末書の内容について口授が行なわれていたとしても、それを傍らにいた被告人がすべて聞いていたという保証は何もないし、まして被告人が内容をすべて理解したという保証はどこにもない。

3 まして被告人は、九月一一日午前中、静岡税務署のトイレ内で査察官の松原から自白を勧められたことを契機に否認から自白に転じてからは、査察に対してなげやりな態度を続けていたのである。松原との間で処分の内容を罰金と約束してしまったのであるから、そのためにどのような内容の質問てん末書が作成されようと関心はなかったし、むしろ早くてん末書の作成が終わってしまうことのみを望む気持ちになっていたからである。

4 質問てん末書の内容に関心がないのであるから、仮に査察官から査察官への口授を聞くことができた状況にあったとしても、それを聞いていたという保証はなく、とうていその内容を承知していたとは言えない。

5 そもそも現在一般の刑事事件の検面調書は、検察官が立会いの検察事務官に口授して作成しているが、署名、指印を求める前に必ず被疑者に対して読み聞けないし閲覧をさせている。それは、被疑者が口授を聞くことができるような状況にあったとしても、すべての内容を聞き漏らすことなく、かつ理解していたという保証は全く無いからである。口授は被告人自身に対してなされているのではないから、そもそも注意深く聞いていたか否か疑問であるし、被疑者が聞き漏らしてもその場で口授を中断させて検察官に確認することなどするはずがないからである。

6 真意から自白している被疑者ですらそうなのである。まして被告人のように自白の意に反して虚偽の自白をし、あとの手続は事実に反した調書を作成することなどの形式を整えるだけの作業であると確認していた被告人にとっては、質問てん末書の内容などまったくもって関心がなかったことは疑いのないところである。

7 いずれにしても控訴審判決のように査察官相互の口授によって、被告人が質問てん末書の全ての内容を理解したということは考えられないし、そのように考えることは絶対に誤りである。

三 一二月二三日付質問てん末書の内容について

1 次に控訴審判決は、「一二月二三日付質問てん末書は、飯村において予めその大半を記載した上で質問調査に臨んだとはいえ、そのほとんどは被告人の従前の質問てん末書の内容をとり纏めたものであって、飯村らが勝手に新たな事項を記載したものではないこと、そして、松原らは、その概要等を説明した上で被告人の署名押印を求めていること、このように各質問てん末書の読み聞けが不完全なものとなったのは、調書の概要を承知し、かつ、松原らを信頼していた被告人が、調書作成の都度、自ら申し出て、調書の内容を細部にわたって確認することを辞退したためであって、松原や飯村が被告人にその機会を与えなかったためではないこと」と認定している。

2 しかしながら右認定部分はそもそも一二月二三日付質問てん末書の内容がそのほとんどは被告人の従前の質問てん末書の内容をとり纏めたものであるという前提事実自体が誤っている。まさに飯村が勝手に新たな事項を記載したものであるため、それまでの質問てん末書に含まれていない事項にわたっており、しかもその内容が客観的事実と食い違っている部分があり、あるいはそれ以前の質問てん末書と同一の事項を記述したところも、以前のてん末書と相反しあるいは異なっている部分があるのである(一審弁論要旨一六頁~四〇頁)。

3 新たな事項については、被告人が供述した内容ではないことは明らかであるから、それを被告人が供述録取書として認める趣旨で署名、指印したとしても、それは供述録取書とは言えない。同様に、前の質問てん末書と相反し、あるいは異なっている部分は、供述を録取したものとは言えない。

また査察官が被告人に署名、押印の前に質問てん末書の内容の概要等を説明しただけでは、被告人がとうてい質問てん末書全ての内容を理解したものとは言えないものである。

4 そもそも供述録取書は、第一にその内容は被告人が供述したものでなければならないし、第二に、その供述を録取された内容を被告人が確認していなければならないし第三に、その上で被告人の署名、指印がなければならず、そうであってはじめて刑事裁判の証拠として証拠能力が付与されるものである。単に、書類の内容の確認の機会が与えられ、被告人の署名、指印があるからといって、供述を正しく録取したといえないものや、被告人に対して内容確認の機会が与えられただけで実際に確認したか否か不明であるような書面は、とうてい刑訴法三二二条の供述録取書とは言えないのである。

5 むしろ、このように質問てん末書の内容が不十分であり、厳密になされるべき被告人に対する内容確認が不十分なものになったのは、被告人が質問てん末書の内容に関心がなく、内容如何にかかわらず署名、指印することが査察自身にもわかっていたからである。内容の確認を被告人が辞退したことは、むしろ意に反して自白をしたからであるという被告人の供述を裏づけることにもなる。

四 被告人の上申書について

1 さらに控訴審判決は「上申書も、松原の作成した下書きに基づき、信子に記載させたものではあるが、松原は、その際には、下書きの元になった注文伝票を持参して説明しており、また、取引の回数部分については、信子に回数計算の方法を説明して同女に回数を教えて記入してもらったこと、こうして原稿ができあがった後、そのコピーを作成し、被告人に見せながら、内容の説明をした後、被告人の署名押印を徴したことがそれぞれ認められる。」と認定している。

2 しかしながら、右のように説明という形をとったことが仮に事実であったとしても、それによって被告人が、上申書の内容を理解したという保証はどこにもない。これは、前述のように査察官から査察官への口授を被告人が傍らで聞くことによってもその内容を理解したことにならないと全く同様である。

まして、右のように被告人の供述を録取したものではなく査察官が独自に内容を作成した書面は、法律上査察官の供述書であって被告人の供述録取書ではない。それは右書面の内容をいくら被告人に説明しようが、書面の性格が変わるはずがない。

3 さらに上申書の内容からも被告人が内容を確認していないことは明白である。特に上申書の内容がそれ以前の質問てん末書の内容に含まれていない事実が記載してあること、さらには最も重要な取引の回数について内容が間違っている(一審弁論要旨七九頁~八三頁)のは、被告人が「逐一検討して間違いないことを確認し」たという上申書の記載部分が事実と違っているからに外ならない。

したがって、右上申書は、被告人が内容を確認していない点でも供述録取書とは言えないものである。

五 被告人は九月一〇日には印鑑を所持していなかったこと

1 さらに控訴審判決は、被告人が九月一〇日の調査の際、印鑑を所持していたか否かの問題について、「現場の責任者は気を遣って被質問者に印鑑を持たせて質問調査の場所に向かわせるのが常である、臨検捜索差押許可状等への押印を翌日まで猶予することはない旨の供述や、松原、飯村及び吉村の、被告人が印鑑を忘れてきたのは一一日午前の質問調査時のことで、このときには、昼食時に取りに帰ってもらっている旨の各供述に照らし、にわかに信用することができない。」と認定している。

2 しかしながら質問てん末書についても臨検捜索差押許可状についても、押印でなければならない理由はなく、指印であればよいものである。このように指印でよかったのであるから被質問者に印鑑を持たせるよう気を遣う必要はない。むしろ被質問者について逮捕状が無いのであるから、逃げられてしまう虞があり身柄の確保に細心の配慮をしているのが通常であると考えられる。実際査察に入った九月一〇日には事務所にいた被告人の周囲をすぐに何人もの査察官が取り囲み、そのまま静岡税務署に連れていったのである。したがって、被告人が一〇日の日に印鑑を所持しないまま静岡税務署に連れて行かれたことに何の不思議もないのである。

3 また翌九月一一日の昼食時に被告人が印鑑を取りに自宅に帰っていることは、査察官のみならず被告人自身が第一審の公判廷で何度も供述していることである。これは事実であり、査察官の証言と一致するのは当然である。しかし、それだから前日の一〇日印鑑を忘れてきたことはない、ということにはならない。被告人がそのように述べているからといってそれは一一日のことであり、一〇日には印鑑を所持していなかったという被告人の供述とは関係ない。それと同様に、査察官が一一日に関して右のように述べているからといって、それは一〇日の件に関しては関係がない。

したがって、それだから被告人の一〇日についての右供述が信用できないということなどできないはずである。

六 九月一〇日の所持品の差押物件に印鑑がなく、印鑑現在確認もしていないこと

1 控訴審判決は、九月一〇日午前一一時一五分に執行されたとされる被告人の着衣及び所持品に対する臨検捜索差押許可状において、差し抑える物件として「印鑑」が明示されているにもかかわらず、実際に差し押えられる物件は名刺等だけで印鑑が入っておらず、印鑑の現在確認もしていない事実が、一〇日に被告人が印鑑を所持していなかったことを裏づけているという弁護人の主張に対して、「本件のように、被告人の携帯している印鑑がすでにその現在を確認済みである場合には、重ねての現在確認はしない扱いであることが窺われるから、所論は採るを得ない。」と認定している。

2 しかしながら仮に真実被告人の携帯している印鑑が現在確認済みの印鑑であるときに、重ねての現在確認をしない扱いであるということであっても、右の判示部分は論理的に誤りである。

被告人は会社において身体検査を受けていない。したがって、万が一会社で印鑑を持って行くよう印鑑を渡されそれを所持していたとしても、静岡税務署における身体検査時に所持していた印鑑がそれと同一のものか否かは不明であったはずである。したがって、吉村としては右の印鑑の同一性を確認する方法がなく、被告人が所持していた印鑑が現在確認済みの印鑑か否か確認する方法がなかったのであるから、所持品の中に印鑑があったとすればそれを差し押さえるか、少なくとも現在確認をしたはずである。

それがいずれもなされていないのは、被告人が印鑑を所持していなかったからである。

3 もちろん身体捜索をした吉村のところには、まだ会社での印鑑の現在確認の書類は届いていなかったはずである。会社での臨検捜索は、九月一〇日の夕方午後五時三〇分までついやされていたからである。当然現在確認書が静岡税務署に届いたのも、右時刻以降であるはずである。

現在確認書がないにもかかわらず、したがって現在確認済みであるか正しく判断する資料がないにもかかわらず、被告人が所持していた印鑑の現在確認を吉村がしなかったというのはきわめて不自然である。吉村が確認をしなかった理由は、その際所持品の中に印鑑がなかったという以外にないのである。

七 九月一〇日付質問てん末書が日付を遡らせたものであること

1 控訴審判決は、被告人の九月一〇日付質問てん末書は、実際には九月一一日午後被告人が印鑑を自宅から持ってきた後で作成されたものであるという弁護人の主張に対して、「よしんばこれが被告人の主張するように翌一一日になされたものとしても、同質問てん末書の作成日付及び記載内容、当時、被告人は同月一一日に大蔵事務官による後記自白の逍遙がなされたというような主張は全くしておらず、したがって大蔵事務官らにおいて質問てん末書の作成日付をことさら遡らせて記載しなければならないような事情は皆無である」と認定している。

2 しかしながら、被告人が公判廷で供述するように、大蔵事務官から自白の逍遙がなされたことにより被告人が虚偽の自白をしたとすれば、その逍遙がなされた一一日当日に、被告人が松原査察官に対しても、他の査察官に対しても「逍遙された」などという主張をするはずがない。むしろ査察官は一〇日強行に否認していた被告人が翌一一日になって、しかも松原と一緒にトイレにいった後、突然自白に転じた理由について不信に思っていて当然である。あるいは松原の自白の逍遙も査察官の共謀によってなされ、松原以外の査察官もその事実を承知していたとも考えられる。

3 したがって、被告人の自白がその後も維持されるかが心配であり、検察官の調べにおいて、あるいは公判において再度否認に転じることがないか大いに不安であったと思われる。そのためにこそ、今後そのように再度否認に転じその際「一一日に自白を逍遙された」と被告人に後日主張をされたときのためにも、日にちを遡らせておく必要があったと言うべきである。一〇日の当初から自白していたと主張し、それを裏づける証拠を作成しておけば、被告人が否認に転じたとしても、一一日に自白を逍遙されたという主張を、封じることができるからである。

八 松原の自白の逍遙について

1 さらに控訴審判決は、九月一一日の午前中被告人が松原からトイレにおいて自白を逍遙された事実について、「被告人は、すでに強制調査の初日である九月一〇日の時点で本件脱税事実を全面的に認める自白をしているのであるから、翌一一日になって、松原が改めて被告人に自白を逍遙しなければならない事情は全く認められない。」とも認定している。

2 しかしながら、被告人は九月一〇日には、前記のように自白しておらず、明確に否認していたものである。だからこそ松原が被告人に自白を逍遙する必要があったものである。これは前提たる事実が誤っているものである。

3 右の点に関して控訴審判決はさらに、「また昭和六〇年八月頃三洋証券静岡支店に営業課長として赴任し、被告人の担当となったという程度の関係しかない坂本の立場に対する配慮から、被告人が一億円以上の租税負担を被らなければならない合理的な理由も必要も認められない。」とも認定している。

4 しかしながら、右認定は被告人の当時おかれていた状況を全く考慮していない観念的な判断でしかなく、そのために全く判断を誤ったものである。

被告人がおかれていた状況とは次のようなものである。第一に、被告人は税の専門家たる大蔵事務官、査察官から教江名義の取引についても課税されあるいは被告人の株式取引について所得税を申告しなかった行為は脱税であるから所得税が課税されると言われていたのである。そのために強制的な査察が実施され、証拠品が差し押さえられ、被告人の取調が連日行われていたのである。それだけで、争っても無駄ではないかという諦めの気持ちが生じたとしても全く不思議はない。

5 第二に、前日の九月一〇日取調の際の状況は、法的には身柄を拘束されていないとは言え、被告人にとって耐え難いものであった。午前九時半頃から事実上身柄を拘束され税務署に事実上監禁されて、深夜まで取調が続き、しかもその取調の中身たるやそれまで警察による取調はもちろん、査察を経験したことのない被告人が、査察官から罵倒、誹謗を繰り返され、タバコも吸わされず、水も飲まされないままの、非人間的扱いをされたのである。しかも、それが連日になり、今後いつまでそのような取調が継続するかわからない状況におかれていたのである。少なくとも、被告人には、右のような状況がこのままいつまで続くかは全くわからなかったのである。

6 第三に、当時の被告人と坂本との関係は、証券会社の営業社員と顧客という関係以上にきわめて親密な関係であった。また、被告人はそうした人間関係をきわめて大切にし、人の立場に対して深い配慮をする傾向があったのである。

7 第四に、どういうことが動機になるのかは、人それぞれである。経済的なことのみに関心があり、常にそれが動機になって行動する人間もいれば、そうではない人間もいる。嘘をつかないということを誇りにしている人間にとっては、人を傷つけることよりも嘘をつかないことの方が重大なことに思われることもある。信義を重んじる人間は、そのためにお金などどうでもよいと思うこともある。

人の行動の理由を単純に考えることなどできないのである。またその当人があとで動機として説明していることが全てであるとも言えない。

8 考えてみても、第一に、右のような直ちに嫌な思いからのがれられ、第二に、人のためになることになり、第三に、自ら働いて作ったお金ではなく、今後も簡単に作ることができる状況であったから、お金についての執着もなかったとしたら、とうてい自分の思いとは別に考えられる。

被告人の供述している自白の動機は、それだけでも充分了解可能なのである。

九 坪井課長らが被告人に対してなした自白維持のための言動について

1 さらに控訴審判決は、坪井課長の名前を被告人が公判廷で誤って供述したことに関して、「その当時、同国税局の査察部には「吉田」なるものはいなかったことが認められる。のみならず、本件のような高額の脱税事犯について、告発目前のこの時期に、国税局の責任者が、嫌疑者に対し、不起訴の見通しを語るというようなことがあるとは到底考えられないところであり、被告人の右供述及びこれにそう原審証人鈴木峰雄の供述は信用できない。」と判示している。

2 しかしながら、固有名詞について記憶間違いがあることは、何ら不思議はないし、当然である。そんなことは何ら被告人の供述の信用性の判断について関係がないことである。

すなわち実際に課長が被告人と会っていることは間違いないのであるから、その課長をさしていることは明白である。課長の名前について被告人が嘘を言う理由はないし、名前を間違えたからといって、そこでの話合いの内容も間違っているということにはならない。

3 また査察の責任者が、嫌疑者に対し、不起訴の見通しを語るということがありえないというのは、証拠もなく、推測にすぎない。控訴審判決は、査察の責任者が嫌疑者に対して不起訴の見通しを語るべきではない、という当為の問題を、そうであるはずであるという存在の問題にすり替えているのである。

実際査察官と同様法律上起訴、不起訴を判断する権限を有しない警察官が、被疑者に対して起訴、不起訴の見通しを述べることなど珍しくない。

4 さらに控訴審判決は、税理士である鈴木峰雄証人の証言を簡単に信用できないとして排斥している。しかし証人鈴木峰雄は税理士であり、資格剥奪や社会的に責任がある立場からして偽証するとはきわめて考えにくい。これは当事者的立場にある査察官らが事実を偽っているのとは全く事情が異なるのである。

一〇 本件証拠全体からの証拠能力の評価

1 以上のように、控訴審判決は、自白の証拠能力に関する間接事実について、きわめて重大な誤りを犯し、その結果証拠能力の判断を誤ったものである。

被告人が、なぜ右のような質問てん末書等に署名指印したのか、その内容が信用できるものであるのかは、右のような事実のみならず、さらに本件全体の異常な事実、特異な事実を全体としてとらえるべきである。

2 すなわち、一審の弁論で指摘したように、松原が、公判廷でなぜ被告人を尊敬しているなどと言わねばならなかったのか、松原が、同様に被告人が公判廷で嘘をついている箇所について何も指摘できなかった事実、査察官ら証言が次々に変転し、あるいは相互に矛盾した内容になっている事実、質問てん末書を作成する際に、査察官が被告人に会う前に事前に書いていったりあるいは読み聞けすらしなかったりした事実、被告人について言うならば、被告人の供述録取書が客観的事実に反した部分が著しく多い事実、理由もなく変転している事実、さらには被告人が自白を内容とする質問てん末書をすでに何通も作成した後に松原に対してなぜ自分が脱税になるのか聞いていた事実、本件で最も重要な証言書類と考えられていた取引名使用届出書を査察官は被告人に対して示すのが遅れ、さらには査察官は実際に署名、押印した望月信子には結局その確認の質問をすることすらできなかった事実などである。

3 これらの事実は、全体として明らかに被告人の無実を示すものであり、特に被告人の質問てん末書、上申書並びに検面調書が、査察官らの頭の中で作り上げた作文でしかないことを示すものである。

4 以上の通り、被告人の質問てん末書に関して控訴審判決は証拠能力の判断を誤ったものであり、それは前記の通り法令違反、憲法違反を構成することは明らかであり、破棄されるべきである。

第三 重大な事実誤認

一、教江名義の取引及び犯意の有無

教江名義の三洋証券静岡支店における株式の信用取引が教江の取引であって被告人の取引ではないのに、一審判決が教江名義の取引を被告の取引と認め、これを被告人が自己名義で行った株式の取引と合算し、被告人は株式売買益に対する非課税限度枠を超える回数、株数の売買を行いながら、あえてその利益を申告せず所得税を免れたと認定したのは、事実を誤認したものでありその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであると弁護人が主張したことについて、控訴審判決は、「教江名義の株式の信用取引が実質的には被告人の取引であるかどうか」と「被告人の所得税逋脱の犯意の有無」に分けて検討し、これを肯定し弁護人の主張を排斥した。それ故、弁護人も以下にこの二点に分けて主張する。

二、教江名義の株式の信用取引の帰属主体について(被告人か教江か)

1、控訴審判決は、被告人が教江名義で株式の取引を開始するに至った経緯、その取引の開始や信用取引のための担保提供が被告人の一存で行われ、教江は全く相談を受けていないこと、三洋証券ないしその窓口担当者である坂本は、被告人を相手方本人と見て取引を行っていたこと及び株式売買益の管理・処分も専ら被告人が行っていたこと等の認定を根拠に、教江名義の株式の信用取引の帰属主体を被告人と判断している(控訴審判決三八丁表~四三丁裏)。

2、しかしながら、右のいずれも相当ではない。以下論ずる(右事実が具体的に述べられている控訴審判決三八丁表~二一丁裏の<1>~<5>に沿って論ずる)。

(一) <1>被告人が教江名義で株の取引を開始するに至った経緯について

控訴審判決は、「昭和六一年五月過ぎころ、被告人の自己名義の株式の売買回数がこのまま株式の取引を継続すると、売買回数も早晩非課税限度枠の年間五〇回を超過し、所得税を課せられる虞が出てきた」旨認定している(控訴審判決一九丁裏)。

しかしながら、控訴審判決の右認定の「早晩」とは、国語的には「遅かれ早かれ、いずれいつかは」という意味であって、被告人の昭和六二年九月一〇日付の質問てん末書の「自分で計算したら四七回位、坂本によると限度一杯の四〇数回になっていた」(同てん末書八丁裏)と明らかに異なる。また、被告人の検面調書の「私の計算で五〇回に近づきました。」(同調書三丁表)とも異なる。控訴審判決が、いかなる証拠をもって「昭和六一年五月過ぎころ、早晩非課税限度枠の年間五〇回を超過し、所得税も課せられる虞が出てきた。」を認定したのか不明であるが(端的に言えば、証拠に基づかないで認定したと言わざるを得ないが)、いずれにしても「昭和六一年五月過ぎころ取引回数が四七回ないし限度一杯」という認定が本件事案にとってあまりにも不適当と判断したのであろう。

なぜなら、限度一杯と認識し、脱税するために教江名義の取引を開始しながら、被告人名義の取引をそのまま継続するというのでは(本件はそのような事案である)、あまりにも教江名義の取引を開始した動機と矛盾した行為と言わざるを得ないからである。

また、控訴審判決は、「当時株式市場は活気を呈しており、取引を継続することにより更に多額の利益を上げることができると見込まれたため、ここで株式の売買を止めて自己の株式売買の回数を非課税限度内にとどめる気持ちには到底なれなかった」旨認定している(一九丁裏~二〇丁表)。

しかしながら、被告人及び教江の取引は信用取引であって、数ケ月以内に反対売買を行わなければならず、単純に現物売買のように「株式市場は活気を呈しており、取引を継続することにより更に多額の利益を上げると見込まれる」などと言うことはできない。このようなことを言うことができれば、誰でも信用取引で多額の利益を上げられたことになる。事実、坂本の証言によれば、被告人以外のほとんどの信用取引をやっていた顧客が損をしていたというのである。

また、取引を継続すると言っても、松原査察官らが証言するように(二一回松原証言調書六七丁裏~六八丁裏)、被告人は、教江の代理人ないし使者として本件において適法に教江の信用取引を行い、全く税金を支払わないようにすることができたのであるから(具体的注文行為等は被告人が行うが教江に帰属する取引ができたという意味)、この点、敢えて違法な脱税行為に走る必要性は全くなかった。

なお、控訴審判決は、「坂本が注文伝票総括表を使って売買回数(委託契約数)を少なくすることができるから、まだ大丈夫である旨述べていたが、それでは対応しきれない事態も予想されたため、被告人が坂本の勧めに従い、教江名義の取引を行うこととした」旨認定しているが(二〇丁表)、「それでは対応しきれない事態が予想されたため」その対応策として教江名義の取引が開始されたのではない。

前記のように、被告人の昭和六二年九月一〇日付質問てん末書では「被告人の計算で四七回位、坂本によると限度一杯の四〇数回」、被告人の検面調書では「五十回に近づいた」というのであるから、これらの書面の内容が正しいとすれば、「それでは対応しきれない事態が予想された」のではなく、既にその時点で被告人名義の取引は「直ちに中止」しなければならなかったのである(建て玉の反対売買のことも考慮すると、これ程売買回数が限度枠に近づいてから新しい売買を中止するということ自体遅すぎる話であるが)。

よって、右控訴審判決の認定は明らかに誤っている。

これは、前記のように、被告人名義の取引がその後も継続されたという客観的事実の存在に対して折れなければならなかった控訴審判決の苦しい立場を物語っていると言うべきであろう。

控訴趣意書においても指摘したように、被告人名義の取引回数が非課税限度枠一杯になったために限度オーバーを避けるために教江名義の取引が行われたものであるとの予断をもっていた査察官松原らの班の査察官が作成した坂本の質問てん末書においては、教江名義の取引が開始された理由が、「取引が五〇回に近くなり」(昭和六二年九月一〇日付)、「昭和六二年六月二〇日で取引回数が四八回になっており」(昭和六二年九月二二日付)となっているにもかかわらず、そのような予断をもっていなかった応援の査察官らの作成した坂本の質問てん末書においては、客観的真実通り、「教江名義の口座を開設(信用取引)するに至った理由については、望月滿夫さんの信用取引口座の代用証券の担保枠が限度一杯であり、それ以上の取引を行うには現金で保証金を積まねばできない状況にありました。一方、教江については保護あずかりで一億円そこそこのKDD株がありました。そのため代用証券の差し入れのみで信用取引ができるということで開設されたものです。」(昭和六二年九月一一日付てん末書五丁)と被告人名義の取引の代用証券の担保枠が限度一杯になったことが教江の取引が開始された理由であることが記載されているのである。

なお、右の昭和六二年九月一〇日付てん末書から同月一一日付てん末書への内容の変更及び更に同てん末書から同月二二日付てん末書への変更について、何らその変更の理由は記載されていない。これこそ、予断をもっていなかった査察官が作成した昭和六二年九月一一日付てん末書の正確さ及び予断をもって作成された同月一〇日及び二二日付てん末書の虚偽性を物語っているというべきである。また、控訴審判決は、「坂本の勧め」によって被告人が教江名義の取引を開始したことを認定しながら(一九丁裏三~五行目)、教江名義の使用等による取引が所得税を課されることはないであろうと「被告人がまず考え」それについて坂本の意見を徴したかのような認定をしている(二〇丁表六~一〇行目)。

しかしながら、坂本が教江名義の取引を被告人に対し勧めるからには坂本の側に「何故に教江名義の取引を開始すべきか」という、言わば口説き文句があった筈であり、それなくして被告人の方が一方的に一定の効果、結果を「予想し」、その後それについて「坂本の意見を徴」するなどということは(控訴審判決二〇丁表六~一〇行目)なかった筈である。

この坂本の口説き文句こそ、「取引を教江名義とし、取引の担保には教江の株券を預託し、売買益も教江名義で管理・処分すれば、その取引は教江の取引であり、その取引は被告人の取引回数と合算されることはない。」ということであったのである。

教江所有の株を代用証券とし教江名義で取引しその売買益を教江に帰属させるならば、「その取引は教江の取引となる」というのはあまりにも当然なことである。

(二) <2>教江名義の取引の開始の決定について

控訴審判決は、「被告人が教江名義で株式の信用取引を行うことは、被告人の一存で決定したことであり、事前にも事後にも教江に報告してその承諾を求めるというようなことはなかった。」旨認定している(二〇丁表裏)。

なるほど、事前に被告人が教江に報告してその承諾を求めるというようなことはなかったが、事後には、被告人は教江に報告してその承諾を得ている(証人望月信子の証言、同教江の証言及び被告人質問参照)。

また、控訴審判決は、「取引開始後における個々の株式の売買取引の決定においても同じであり、銘柄株数、単価等を決定して売買注文を出すのは、被告人のみであり、教江が関与したことは一度もなかった。」というが(二〇丁裏)、このような個々の具体的注文を被告人が行っていたことが何ら本件教江名義の取引が教江に帰属することの妨げにならないことは査察官松原らが認めているところである(二一回松原調書六七丁裏~六八丁裏)。このことは、投資家と投資顧問会社の関係を考えれば当然なことである。

(三) <3>教江名義のKDD株について

控訴審判決は、「被告人は自己名義で多数のKDD株を所有していたほか、教江名義でも多数のKDD株を管理していた」旨述べ(二〇丁裏)、あたかも教江名義のKDD株が被告人の所有に帰属していたかの如く認定をしている。

しかしながら、教江の多数のKDD株は静岡税務署によって古くから教江の所有に帰属するものと認定されてきたものであり、また本件査察においても松原ら査察官によって教江の所有に帰属するものであると判断されたものである。

これらの購入について被告人が教江に度々話してきたことは証拠上明白であり(教江の証言及び被告人質問)、「これらを購入した時期、株数、金額などを教江に話すようなこともなく」(二〇丁裏)などという認定が誤りなのは明白である。

控訴審判決は、「教江名義のKDD株の管理にも全く教江を関与させなかった」(一〇丁裏)旨認定しているが、被告人が教江を関与させなかったのではなく、教江に関与するだけの能力も知識もなかったために教江自身が関与しなかったというだけの話である。

なお、世上、経済感覚に優れた夫がその妻の資産形成を包括的に妻から任され、妻もそれに一手に頼っているという事例は多い。本件においても経済に疎く自己の資産形成など銀行への預金くらいしか考えられない教江が経済感覚に優れていて株取引にも非凡なものがあった被告人に全て任せていたものである。

(四) <4>三洋証券側の認識について

控訴審判決は、「坂本は教江名義の株式の信用取引の開始に当たってもっぱら被告人とのみ話をし教江と話等をしなかったこと」を認定しているが(二一丁表)、このような事実は教江名義の取引が教江の取引であることの認定の妨げにはならない。本件は他人同志の間に起きた事例ではなく、夫婦という信頼関係が最も強い人間同志の間で起きた事例である。しかも、何十年と連れ添った夫婦で、妻の資産形成を夫が一手に引き受け妻も安心して夫に自分の資産形成については全てを任せてきた夫婦の間柄であったのである。そのために妻の資産も億という単位に形成されていたのである。

このような場合に繁忙を極める証券会社の人間(坂本)が妻(教江)に対し色々尋ねたり妻から確認をとるなどということは常識的にいってない。また、そのようなことをすれば、妻から全てを任されている夫の気持ちを害し却って取引が円滑に進まなくなる虞がある。教江は、被告人による教江の資産形成に関しそれまで一度たりとも異議を申し出たようなことはなかったのである。

控訴審判決は、「三洋証券側が取引名使用届出書を被告人から徴した」旨認定している。

しかしながら、証拠上明らかなのは、三洋証券の内部規程によれば取引の本人による自筆が要求されている被告人の署名が事務員望月信子による記名になっていることである。どこの世界に署名を求められた人間が他人にわざわざ自己の氏名を記名させるであろうか。また、坂本が取引名使用届出書の意味やそれに関する内部規程を知っていたとしたら、何故に事務員望月信子による「記名」で事足れりとしたのであろうか。信用取引において将来大きな損害が発生した場合の取引者本人との紛争の発生(取引者本人がそれは自分の取引ではなく損害について自分が責任を負う義務はないなどと三洋証券に主張する)を未然に防止するために作成するのであったら、まさに本人の署名を取ることが何よりも重要だった筈である。

松原ら査察官が事務員望月信子に対し取引名使用届出書の作成に関し一切質問していないことも松原らの証言から明らかとなっている。他人(信子)が作った文書を本人の意思に基づいて作成された文書と認定するには、何よりもその他人に本人から作成の指示を受けていたのかを質問し聴取する必要がある。それが全く行われないまま作成された文書を本人の意思に基づいたものであると判断するなどということは通常な捜査ではあり得ない筈である。

控訴審判決は、このような疑問点を一切無視して本件取引名使用届出書は被告人から徴されたものであると強引に認定したものである。これもまた被告人を有罪とするために査察官らと同じ手法を取ったと言わざるを得ない。

被告人は、本件取引名使用届出書の作成については全く関知しておらず、事務員望月信子にその作成の指示も許可も与えていないのであるから、控訴審判決のように、「三洋証券側では、委託取引等の当事者は被告人であり、被告人が同取引契約上の責任を負うことを確認した。」ということはできない。

(五) <5>教江の態度について

控訴審判決は、「教江名義での株式の売買取引が開始された後、三洋証券から送付されてきた教江宛の売買報告書等を、教江がそれらを開封することなく被告人に渡し、被告人はこれを静岡冷凍設備の事務所に持って行き、信子に整理させていた。」旨認定している(二一丁裏)。

しかしながら、実態は、教江宛ての三洋証券からの売買報告書等をことさら教江が自己に無関係のものとして開封することなく被告人に手渡したというのではなく、被告人宅に一緒に暮らしている教江宛に送付されてきた三洋証券からの売買報告書等の書類を包括的に取引に関し委任を受けていた被告人が事務員望月信子に整理・保管してもらうために会社の事務所に持って行っていたにすぎない。

また、控訴審判決は、「被告人が教江名義取引で生じた損益についても、同人に報告するようなことはせず」と認定しているが(二一丁裏)、教江の取引が儲かった時などに被告人が教江に報告し、それについて教江が一喜一憂していたことは、両名の娘信子、教江の証言及び被告人の質問において述べられている。よって、被告人が教江名義取引で生じた損益について教江に報告するようなことはせず」という右認定は明らかに誤りである。

更に、控訴審判決は、「教江名義取引で生じた利益の管理・処分は専ら被告人が決定した」旨認定しているが(二一丁裏)、被告人は教江の資産を増やすという目的から利益の管理をしてはいたが、その処分をしたことはない。

いずれにしても、控訴審判決の事実認定は総体的に言って、証拠に基づかないで自己の判断に都合のよい認定(表現)をしているというべきである。

三、被告人所得税逋脱の犯意の有無

控訴審判決は、どのような証拠をもって、「被告人が自己が教江名義で行う株式の取引及びその売買益が真実教江に帰属すると考えていたものではなく、教江名義で取引を行い、同人名義で売買益を管理するなどすれば、税務当局から、これを被告人の取引と認定されることはないと見込んでいたに過ぎない」旨認定したのか不明であるが(二二丁表)、このような認定が全く失当なものであることは査察官松原自身が本件の取引名使用届出書を万一被告人が作成していたとすれば本件教江名義の取引を教江に帰属するものであるなどと税務署に対し言い逃れすることはできない旨明確に証言している。それ故、被告人が取引名使用届出書を作成しながら(控訴審判決の認定によればそうなる)、「被告人が税務当局から教江名義の本件取引を被告人の取引と認定されることはないと見込んでいたに過ぎない」などとは絶対にいうことはできない。

また、控訴審判決は、「被告人が教江を本人と遇していなかった」旨認定しているが、被告人が過去長年月に渡って教江を教江名義の株式取引の本人と遇してきたから、教江所有のKDD株の時価総額が当時約一億円にもなっていたのであろう。

控訴審判決は、「昭和六一年分の所得税の確定申告に当たり、被告人名義取引と教江名義取引とを合算すれば、被告人の株式売買の回数及び株式数が非課税限度枠を超過していることが明らかであるにもかかわらず、被告人が株式売買による所得を申告から除外していることを併せ考慮すれば、被告人に株式取引益に対する所得税逋脱の犯意があったことを優に推認することができる」旨認定している(二二丁裏)

しかしながら、教江名義の取引は教江に帰属するものであると三洋証券の坂本に言われ、それを信じて教江名義の取引を行ってきた被告人に対し、自己名義の取引と教江名義の取引の回数を合算して非課税限度枠を超過していないか否かを判断すべきであったなどということ自体無理な注文である。たとえ、夫婦であっても、それぞれが非課税限度枠の範囲で非課税になるのであるから、本件において被告人が注意しなければならなかったのは、被告人名義及び教江名義の取引のそれぞれが非課税限度枠(五〇回未満)をオーバーをしていなかったかということである。それ故、「被告人名義を教江名義の取引回数を合算すれば、被告人の株式売買の回数及び株式数が非課税限度枠を超過していることが明らかである」などという論理は失当である。

よって、前記の「税務当局から被告人の取引と認定されることはないと見込んでいたに過ぎない」という認定と右の「被告人の取引と教江名義の取引を合算すれば非課税限度枠を超過していることが明らかであるにもかかわらず申告から株式売買による所得を除外した」という認定に基づいて、「被告人に所得税逋脱の犯意があったことを優に推認することができる」とした控訴審判決は失当である。

被告人が所得税逋脱のための仮装行為を一切していないことこそ(これは松原ら査察官が認めている)、被告人に所得税逋脱の犯意がなかったことを強く推認させる。

四、一審判決及び控訴審判決の本件事件観の不合理性

控訴審判決は、弁護人が、「原判決の本件事件観の不合理性」として、「被告人の関与した教江名義の取引が同人の取引であれば、同人も被告人もその取引益に係る所得税を納付する義務がないのであるから、被告人があえて多額の納税を必要とする方法、すなわち教江名義の取引をも被告人の取引とする方法を選択する筈がないのに、一審判決の認定は、被告人が正にその不利益な方法を選択したというものであって、不合理である」旨主張したことに対し、「被告人が自らのため株式の取引をすることを止め、以後の株式の取引を教江のために行うには、その条件・環境を整える必要があるのであって、それは所論のいうほど容易になし得ることではない」などと述べている(二三丁)。

しかしながら、まず、被告人は教江の取引を代理人として開始するに際し、右控訴審判決がいうように「自らのため株式の取引をすることを止め」る必要はないし、「その条件・環境を整える」のに困難であったということもない。

なぜなら、まず教江の取引の代用証券となった教江の多数のKDD株は税務当局から昔から教江の所有に帰属するものであると判断されていたものであるから、今回の教江の信用取引についてもそれまでと同様の方法でやれば、当然教江の取引となるべきものであったのである。一方の税務当局がある方法を是認しながら、他方の税務当局がその方法を否認し犯罪をするなどということは一般市民の法的安全性からいって許されない。

また、被告人が自分の信用取引を自分の株を代用証券にして行いながら、教江の信用取引を教江の株を代用証券として行うことは当然許されることであって、教江の取引を開始するに際し自己の取引を止める必要がないのは当然である。

本件事件は、控訴審判決が述べるような教江名義を開始するにつき、「単に取引名義を教江名義に変えたり、売買益を教江名義で管理・処分した事案ではない。教江所有の株式を教江の信用取引の代用証券として行われた取引であって(被告人の取引は平行的に別に行われた)、その売買益も被告人の取引の売買益と判然として行われた事案である。

控訴審判決は、「株式取引に関する種々の行為の最終決定権を被告人から教江に移転し」というが初めから最終決定権はKDD株の所有者としての教江にあったのである。それ故、最終決定権を被告人から教江に移転する必要など最初から全くなかった。

また、控訴審判決がいうように「教江は単なる形式的名義人」ではなく、多数のKDD株の所有者として実質的な本人であったのである。控訴審判決の論理は夫婦間における資産形成についての包括的委任を認めないか、これを極めて狭く解釈して適用しようとするものであって、実際の社会における実態(特に中小企業の経営者とその妻の資産形成における夫への包括的一般委任の存在)と離れたものであって到底受入れ難い論理である。本件における被告人の経済的能力と教江の無能力をみれば教江が自己の資産形成を全面的に夫である被告人に頼り包括的な委任をしてきたことは明らかである。

控訴審判決は、「…教江名義での株式取引の実質的決定権を同人に移転する方法を選択したかもしれない。…被告人の行う教江名義取引は同人の取引として扱われ、被告人名義の取引と合算されて取引回数を計算されることはないとの見通しを持っていたため、それ以上のことは考えなかったのである」などと極めて無責任な推測を述べているが、給与所得者以外の一般の市民は税金支払いに関し極めて注意深い気持ちを持っているのであって、その支払い額が何千万円、何億円というような税金のことになれば、「見通しを持っていた」「それ以上のことは考えなかった」などといういい加減な態度をとる筈がないのである。この点、給与所得者として所得税を源泉徴収されている控訴審判決の裁判官はその理解が不十分であったと言わざるを得ない。

五 取引名使用届出書による取引帰属主体の誤認

1 控訴審判決は、第一審判決が、「取引名使用届出書を被告人が教江名義でした株式取引を自己の取引と認識していたこと及び被告人の脱税の犯意認定の最大の根拠としていることに」疑問を呈した。それは第一審判決が、坂本及び信子の各検面調書に全面的に依拠して右認定に導いたからである。

2 そもそも取引名使用届出書の作成状況に関する右各検面調書の相対的信用性については、第一において検討したとおりであり、同人らの第一審公判廷における供述の方が検面調書の供述より勝っており、そもそも右各検面調書の証拠能力は否定されるべきであったのである。そして右検討においても主張してきたように、検面調書が特信性に欠ける根拠の一つは、取引名使用届出書の作成に関する記載が、極めて簡潔であり、ただその作成状況が記載されているというだけであり、これでは右作成に当たり、坂本が本当に書面の内容を理解していたのか、どのような説明で信子に記名押印させたのか、被告人はその記名押印を認識していたのかなど根本的な事実についての具体的な根拠を示していないのである。

3 ところが控訴審判決は、右のような疑問を呈しながらも、「三洋証券が被告人から取引名使用届出書を徴した趣旨」及び「坂本は取引の名義人である教江の意思を確認したことはまったくないこと」を根拠に「三洋証券ないし担当者の坂本は、教江名義取引が実質的には被告人の取引であると考えていたことが明らかであり、その意味では、取引名使用届出書は重要である。」として第一審判決を救済している。重要性の根拠として上げた取引名使用届出書を徴する趣旨とされているところは右書面の文言そのものの当てはめをしているだけであり、担当者坂本が名義人教江の意思を確認しなかったことと坂本の認識が問題となる。

4 坂本にとって、取引の名義人の教江を取引帰属主体であると認識していても、教江の意思を確認しないことは、不思議でもなんでもない。坂本は、被告人夫婦においては、被告人が妻教江の財産の形成、管理を一切任されており、株取引の知識がない教江に代わって、株取引をする事を認識していたのであり、そうした夫婦間の財産管理問題につき、口を差し挟むことは証券会社の営業マンとしては厳に慎むべきことなのは明らかである(控訴審公判供述)。

5 本件取引名使用届出書が作成された理由並びに経緯は、控訴審弁論要旨(三二頁乃至三五頁)に主張したように、坂本は届出書の本来の意味を理解していなかったことが推認できるのであり、控訴審判決が認定するように、坂本は「本件取引が実質的には被告人の取引であると考えていたことが明らかである」などという認定は誤っている。

6 控訴審判決が取引名使用届出書の趣旨やその重要性につき強調すればするほど、その作成状況についての記述が希薄である坂本及び信子の各検面調書の信用性を減殺してゆくのである。

六 取引名使用届出書提出と脱税の犯意

1 弁護人は、被告人が取引名使用届出書を三洋証券に提出することは、教江名義取引が自己の取引であること及び脱税の犯意があることを認めるに等しいことから、被告人がその作成、提出の事実を知らなかったものに他ならないことを主張してきた。

2 この点について、控訴審判決は、取引名使用届出書は内部文書であり、税務当局に提出するものではないこと、だから書面作成当時は本件強制調査を受けるような事態を夢想だにしていなかった、そうすると客観的には主張の結果が招来するとしても、被告人が提出承諾したとの認定は直ちに不合理ではないとした。

3 脱税それも相当な高額になることが予想される場合に、税務署からの調査につき夢想だにしないなどということがあるだろうか。脱税をする者は、万一のことを心配し戦々恐々としながら行うものであろうし、本件届出書の意味内容は正に脱税を認める内容になっており、当然その内容を認識したら被告人は作成につき躊躇したこと必定である。そうした状況についての証拠は全く存在しない。

4 控訴審判決は右のような躊躇の点は触れていないが、「直ちに」不合理な認定であるとはいえないとした、その補強として、被告人が教江名義で取り引きするためには、好むと好まざるとにかかわらず、取引名使用届出書の提出が必要であったことをあげ、結局不合理とはいえないとしている。

5 しかしこの提出必要という点は、明らかに誤っている。

被告人が教江名義で取り引きする方法は、取引名使用届出書を徴することなくいくらでもできたのである。そして教江を本人として遇することも何等の問題もなかった。三洋証券静岡支店において当時最も重要な顧客の一人であった被告人が、取引名使用届出書の提出を拒んでも、取り引き自体を拒むことなどありえなかったはずである。また、仮にそうでなくても取引名使用届出書の提出を求めない他の証券会社を使って取引をすることもできたはずである。

それを「好むと好まざるとにかかわらず、その提出が必要であった」とする控訴審判決は、重大な事実誤認を犯したものである。

七 代用証券の帰属等について

1 控訴審判決は、教江名義のKDDの代用証券の帰属については、教江名義の株式取引の帰属は関係がないなどとして、むしろその管理、処分が被告人の一存で決められているなどという事情から、あたかもそれが被告人に帰属するかのような認定をしている(判決書二六丁裏~二七丁裏)。

2 しかし教江名義の株式は、被告人が教江に全く相談しないまま、被告人が購入し、管理し、あるいは処分してきたものであるにもかかわらず、国税局は、それは間違いなく教江に帰属しているものであることを認めているのである。

それは、被告人と教江が夫婦であり、夫婦の間で夫が妻の財産管理、運用を、多少の処分的な行為も含めて一任されることが世情広く行われているという実態をとらえて、法的にも正しく認定しているものである。

3 それを、裁判所のみがそのような実態を無視し、国税局の判断とは全く別に観念的に帰属の問題を決定するということであれば、課税に関する法的安定性を著しく害することとなり、租税法律主義に反する。

4 そして教江名義のKDD株が教江に帰属するものであれば、それと同様に被告人が教江の関与はなくとも、教江のために教江の財産管理、運用として始めた本件教江名義の株式取引は、同様に教江に帰属するとされるのは、当然の帰結なのである。

八 被告人名義の取引が続けられた事実について

1 控訴審判決は、昭和六一年六月、被告人が教江名義の取引を開始した後も、自己名義の取引を継続していた事実は、被告人が教江名義の取引を自己の取引とは考えていなかった証左であると弁護人が主張してきた点について、「被告人は、その株式取引の回数には常に注意していたが、具体的計算については、注文伝票総括表を用いることにより回数を圧縮できるという坂本にこれを委ねていたところ、同人の報告では、被告人名義での取引についても、まだ回数に相当の余裕があるとのことであったため、昭和六一年六月二一日ころ以降も被告人本人名義での取引も継続した」と認定している。

2 しかしながら、右のように弁護人が主張してきたのは、被告人らの質問てん末書等では、被告人が脱税の方法としての教江名義の取引を始めた動機が、右時期ころにはすでに被告人名義の取引回数が五〇回に近づいたとされていたからである。もちろんこれは、実際には査察官らが独断的な推測で作り上げた動機に外ならない。

ただし右動機は、被告人の検面調書でも維持されているのである。

3 そして坂本から報告を受けたか否かは別として、被告人が六月ころにはまだ自己の株式取引の回数について相当の余裕があると考えていたのは事実である。しかし、だからこそ教江名義の取引がなされた理由は、自己の取引の回数制限の潜脱目的ではなかったのである。被告人の、三洋証券での信用取引の担保枠が足りなかったことにあるのである。

4 とすると、結局控訴審判決の右認定どおりであるとすれば、被告人には「回数が五〇回に近づいたから、教江名義で始めよう」という、質問てん末書で一貫していた脱税の動機自体を、自ら否定することになるものである。

質問てん末書等において、一貫して動機として記述されてきた事実を、かくもたやすく自ら否定しておきながら、脱税の事実のみを認めるというのは、控訴審判決が証拠に基づかないご都合主義的な認定であるからである。

5 さらに、被告人の検面調書や一二月二三日付質問てん末書などにおいては、被告人は六月ころの取引回数について、自分で数えたときには五〇回に近づいていた、坂本からは総括表を使用するから大丈夫だと報告されていたとして、右時期以降の被告人の自己名義の取引を説明しようとしているが、控訴審判決の右認定部分は、右のような検面調書の内容を否定するものである。つまり、控訴審判決の言うように、被告人は自ら株式取引の回数を計算することは一度もなかったから、自ら回数を数えてという事実自体矛盾するからである。

6 いずれにしても、控訴審判決の右認定どおりであれば、脱税の動機など存しないのである。

また、控訴審判決の前の部分では「このまま株式の取引を継続すると、売買回数も早晩非課税限度枠の年間五〇回を超過し、所得税を課せられる虞が出てきた。しかし、当時株式市場は活気を呈しており、取引を継続することによりさらに多額の利益を上げることができると見込まれたため、ここで株式の売買を止めて自己の株式売買の回数を非課税枠内にとどめる気持ちには到底なれなかった。坂本は、注文伝票総括表を使って売買回数(委託契約数)を少なくすることができるから、まだ大丈夫である旨述べていたが、それでは対応しきれない事態も予想されたため」(判決書一九丁裏、二〇丁表)とされている。

しかし、右記述部分は、結局被告人が回数制限について六月ころ心配になったということを前提としており、しかもそれは「ここで株式の売買を止め(なければならない)」というほどの気持ちを抱いていたということになるが、そうであればやはり査察官の計算方法で六月二〇日以降二〇回近くも自己名義の取引を被告人が継続していた事実と矛盾することになる。

7 以上の通り、控訴審判決は、結局被告人が自己名義の取引を継続していた事実と矛盾する動機しか認定できなかったものであり、これはその動機の認定が事実誤認であることを意味するものである。そして、一般的に無罪とされた事件で、無実の者の自白があってもどうしても説明ができない点が動機であると言われていることに鑑みると、右事実も被告人の無実を示す重大な事実であり、右事実誤認はきわめて重大なものであると言わなければならない。

平成六年(あ)第五五二号所得税法違反被告事件

被告人 望月滿夫

上告趣意補充書(一)

平成七年四月二〇日

主任弁護人 杉山繁二郎

弁護人 小川秀世

弁護人 黒柳安生

最高裁判所第三小法廷 御中

坂本征生の検面調書の証拠能力の判断の誤り並びに重大な事実誤認についての上告趣意の補充

一 坂本征生の検面調書の特徴

1 坂本征生の検面調書には、その信用性を疑わせる顕著な特徴がある。それは、調書の内容がきわめて簡潔でかつ抽象的であり、しかも仮に被告人が真実犯罪を犯したものであったとすると、その犯罪の協力者となる坂本が、犯罪に加担したとすれば必ず体験したはずの具体的事実が、調書では全く欠落していることである。

2 本件は、株式の譲渡益に課せられるべき所得税の脱税の事案であるが、事実における争点は決して多くはない。教江名義の株式取引が被告人に帰属するか否かの評価が唯一の争点であると言ってもよい。そして右評価を基礎づける事実についても、被告人が教江名義の取引について自らが銘柄等を選択・判断して注文を出していた事実、逆に教江は株式取引には直接は全く関与していなかった事実、教江名義の取引は被告人が自己のものであると認める内容の取引名使用届出書が三洋証券静岡支店に提出されており、それは被告人の従業員である望月信子によって被告人名が筆記されていた事実、被告人名義の株式取引回数と教江名義のものを合わせると昭和六一年中の回数は五〇回を大きく越えること等の主だった客観的事実については争いがないのである。

3 そのため、取引の帰属が争点であったとはいっても、そのポイントは株式取引の帰属についての被告人がどのように考えていたかという同人の認識の内容であり、したがって、坂本の供述から検察官が明らかにする必要があったのは、主として坂本ないし被告人の主観面並びにそれに関連する事実であった。

すなわち教江名義の取引を始める際、坂本や被告人は、それが被告人に帰属する取引であると認識していたのか否か、被告人が回数制限を潜脱するという脱税目的を有していたのか否か、さらには取引名使用届出書が仮に被告人の意思に基づいて作成されたのであればそれを作成するにあたって、坂本と被告人が文書の意味を正しく認識していたか否か、そうであれば被告人のどのような判断のもとに同書が作成されたのか、などの主観面に関する具体的な事実が坂本の調書によって明らかにされることが必要であったと考えられる。この主観面如何が、教江名義の取引の帰属についての結論を左右することになっていたからである。

しかるに、このもっとも重要な坂本ないし被告人の主観面、さらにはその主観面の現れである具体的事実について、坂本の検面調書ではほとんど明らかにされておらず、正にポイントを外した調書になっているのである。

4 もちろん、検面調書においてポイントである右主観面の事実が欠落し、あるいは曖昧であったのは、検察官が明確な供述をとるべく坂本を取調べたにもかかわらず検察官が得ようとした内容の供述を得ることができなかったからである。そして、そのような供述を得ることができなかったのは、検察官が想定していた事実を坂本が体験していなかったからである。そして、そのことはもちろん検察官の想定していた事実、すなわち被告人の脱税の事実が実際には存在しなかったことを意味する。このことは、後に詳細に述べる。

5 しかるに、一、二審判決は、右の肝心な事実が検面調書に欠落している理由について理性的に推察しようとせず、逆に坂本に対する偏見でもって判断したため、坂本の検面調書に関する判断を誤らせた。すなわち、一、二審判決は、欠落している右の重要な事実を補うため、坂本が検察官による取調の際にどのように考えどのように供述したかを坂本のおかれていた具体的状況、調書の具体的内容などから検討したのではなく、一般的に坂本のような立場にある者、すなわち被告人の共犯者的地位にあり、証券会社のベテランの営業社員である者が一般的にどのように考え行動するかのみによって判断したために、具体的事案である本件での坂本の検面調書の信用性の評価を全く誤ったのである。

換言すれば、一、二審判決は、坂本個人が調査ないし取調べ時におかれていた具体的事情や、さらにその供述並びに証言の具体的内容の検討によって供述ないし証言の信用性を判断したのではなく、いわば坂本のような立場にある者に対して抱きがちな偏見によって判断し、その結果重大な誤りを犯したものである。

6 さらに付加すれば、坂本の検面調書のもう一つの特徴は、内容が簡潔でかつ抽象的であるにもかかわらず、不合理な部分、不自然な部分に満ちていることである。にもかかわらず一、二審判決は、右に述べたようにこのような具体的な調書の内容を検討することなく一般論から推認したにとどまったため重大な事実誤認を犯したものである。

特に教江名義の信用取引を始めることをもちかけたのは被告人か坂本のどちらであるかに関して、てん末書から検面調書へ坂本の供述内容が不自然に変遷していることについては、後述のようにその理由を具体的検討することによって、坂本が、教江名義の信用取引は被告人に帰属するとは考えていなかったことが明らかになったはずであるにもかかわらず、一、二審判決はまったくこれを見逃してしまった。

7 以下、具体的に坂本の検面調書の内容を検討することによって、坂本が取調の際どのような考えからどのような供述をなしたのかを明らかにし、それによって坂本及び被告人は教江名義の取引は教江に帰属するものであると考えていたこと、それ故に教江名義の取引を脱税目的に利用する意図ではなかったことなどを明らかにする。

そして右のとおり、坂本の検面調書については同人の取調べ状況並びにその内容が信用性に乏しいことから法三二一条一項二号の特信状況が存しなかったことは明らかである。したがって、右調書の証拠能力を認めた第一、二審判決には重大な法令違反が存することになるとともに、重大な事実誤認が存することを以下説明する。

二 坂本の検面調書は、教江名義の信用取引の帰属に関する坂本と被告人の認識についての記載がきわめて不十分かつ不自然であること

1 本件で、最も重要な争点は昭和六一年六月二一日に開始された教江名義の信用取引が被告人の取引であったか教江の取引であったかという取引の帰属の問題である。そして、その判断にあたって、右取引を始める際被告人がその帰属についてどのように考えていたのかという被告人の主観面の事実がきわめて重要である。

本件で被告人の主観面の事実が重要である理由は、一般的な刑事事件のように、それが故意あるいは違法性の意識の有無という犯罪の成否にかかわる重要な問題に関連するからということのみにとどまらない。本件において被告人の主観面の事実は、本件で最も重要な争点である教江の名義の帰属の問題を判断する際の最も有力な資料となるからである。

すなわち、本件では仮装行為による脱税という事案の性質上、被告人の主観面に応じて客観的行為に違いが出てくるという事案でないため、被告人の客観的行為からはその主観面を推認することが困難である。しかも、被告人の行為の客観面の事実については、本件で大きな争点となっているところもない。そこで、被告人の主観面の事実が、右取引の帰属の問題を判断する上で最も有力な資料となるのである。すなわち、被告人が、教江名義の信用取引は自己に帰属すると考えていたのであれば、その取引は被告人に帰属するものと評価されるであろうし、逆に教江に帰属すると考えていたのであれば、その取引は基本的には教江に帰属するものと評価されることになるのである。

右取引の帰属の問題とは、結局、教江名義の取引は被告人が教江から株式取引の包括的委任を受け、教江の代理人として行っていたものか、それとも教江名義は被告人が自己を表示するものとして借用していたにすぎないのかという被告人の取引行為の私法的評価であり、私法上の問題である。

本件の場合、教江名義の取引を被告人が行なっていたものであるため、客観的行為の形式としては、教江の名義を自己を表示するものとして使用していたとも解される余地があると同時に、法的効果はそれと全く異なるいわゆる代行的代理行為として教江の代理行為と解することも可能なのである。もちろん、前者であれば教江名義の取引は被告人に帰属することになり、後者であれば教江自身に帰属することになる。

このように教江名義の本件信用取引は、その客観面によっては両者を区別することは不可能であり、そのため被告人の主観面によって両者を区別せざるをえないのである。すなわち、被告人が教江のためにする意思すなわち代理意思を持っていたか否かによって両者は区別されることになるのである。そして、被告人が教江に帰属する取引と考えていたのであれば、それは教江のためにする意思(代理意思)をもっていたと評価できるし、自己に帰属すると考えていたのであれば、単なる名義借用の意思しかなかったことになる。したがって、被告人が右いずれの意思であったのかによって、教江名義の信用取引の帰属が違ってくるのである。但し、この問題については、別に詳細に論ずることとする。

調査、捜査段階及び一審判決において取引名使用届出書が最も重要な証拠として位置づけられてきたのはそのためである。すなわち、取引名使用届出書は、右に述べたような被告人の取引の帰属についての主観的認識を、被告人が直接表明した内容をもつ書面であるからである。ただし、取引名使用届出書に関する問題には、それが真に被告人の意思に基づいて作成されたものか否かの問題を含めさまざまな論点が存するので、ここでは多少関連して触れるにとどめ、後に別に詳論する。

これに対して、二審判決は、教江名義の信用取引の帰属の問題を、あたかも被告人の右主観面とは別の問題であるかのごとく両者を切り離してしまった。すなわち、取引の帰属の問題は、取引についての最終的決定権が誰にあるのかの問題であって被告人らが帰属についてどのように考えていたかという主観面の問題ではないかのように論じているのである(判決書二三丁表~)。

たしかに、取引についての最終的決定権があるのは、その取引が帰属する主体である。しかしながら、前述のように被告人の主観面(教江のためにする意思の有無)によって被告人の行為が教江の代理行為であるか否か区別されることになり、代理行為であれば最終的決定権は教江にあると言わざるを得ないのである。それは教江に実際上株式取引の知識があるか否か、判断能力があるか否か、そのために教江が事実上被告人の判断にすべて従わざるをえないか否かなどということとは全く関係のない法律上の問題である。このように、取引についての最終決定権が誰にあるかという問題は、むしろ被告人や教江が、教江名義の信用取引がどちらに帰属すると考えていたかによって変わる問題であり、その意味で両者は論理的に結びついているのである。但し、この問題についても別に詳細に論ずることとする。

2 右のように、本件において被告人の主観面に関する事実がきわめて重要な争点であるということは、坂本が教江名義の信用取引の帰属についてどのように考えていたかという坂本の主観面の事実も、同様にきわめて重要な争点であるということである。本件当時被告人と坂本は互いに深く信頼しており、株式取引に関して常に情報を交換し合いあるいは話し合っており、したがって教江名義の信用取引の帰属の問題に関しても両名の判断材料は基本的に同じであり、その判断内容についても両名は必ず話し合っていたはずである。したがって、坂本と被告人は教江名義の右取引の帰属について同一の判断をしていたと考えられるし、また、被告人の主観面についての当時の坂本の認識が、当時の被告人の主観面を判断する上できわめて重要な資料となり得ると考えられるからである。

以上のような状況からすると、検察官は坂本を取調べ検面調書を作成する際に、坂本が右取引の帰属についてどの様な認識をもっていたのかを明らかにすることを主たる目的としたはずであり、したがってそれを裏づける事実と合わせて坂本の認識が調書上明確になっていなければならないはずである。特にこのような主観面に関する事実は、被疑者ないし参考人の供述以外に通常直接証拠がなく、取調べはそのような供述を得ることにその目的があるからである。

ところが、以下述べるように坂本の検面調書では、通常とは逆に、坂本の右主観面に関してその表現はきわめてあいまいであり、しかもその主観面の事実を裏づけ、補強するような具体的事実は全く記載されておらず、その意味できわめて不十分かつ不自然なものとなっているのである。

それは、結論的には、査察官や検察官による坂本の取調べの内容に問題があったためであり、坂本の検面調書に記載されている事実が真実とはいえないからである。

すなわち坂本も被告人も、実際には教江名義の信用取引開始当時それが教江自身に帰属すると考えていた。しかしながら、査察官により教江名義の借用の方法による脱税であるとの強い予断に基づく取調べがなされ、坂本の弁解を一切受け付けず、さらに税の専門家である査察官により「教江名義の取引は被告人に帰属する」という判断を押しつけられたため、税の素人である坂本や被告人はその判断をやむなく受け入れた。そのため、検察官も、坂本から教江名義の信用取引が被告人に帰属するという供述を得ることはできたが、取引開始当時にも被告人に帰属していると考えていた旨のはっきりした供述や、そのように判断していた合理的理由などについての供述は得ることができず、まして被告人に帰属していることを前提とした当時の被告人との話合い、脱税の謀議的な話合いなどは実際には全く存在しなかったため、供述を得ることができなかったのである。

以下これを説明する。

3 本件でも最も重要な争点は教江名義の信用取引を開始する際に被告人や坂本が、それが誰に帰属する取引と考えていたかという被告人らの主観面の事実である。そして右主観面の事実は各人の供述からしか明らかにならないものであるから、取調べによって明らかにし供述調書において証拠化することが検察官に求められていたはずである。

しかるに、坂本の検面調書においては、例えば「私は、教江名義の信用取引を始めるときに、○○という理由からそれが被告人に帰属するものであると考えていました。」というような、取調べ検察官に求められていたはずの一義的に明確な坂本の主観面についての記述は存しない。逆にこのような重要な事実について、きわめてわかりにくい曖昧な表現になっているのである。まして、被告人の主観面についての当時の坂本認識については、検面調書から推論するしかないような表現にしかなっていないのである。

坂本の検面調書において、坂本や被告人の主観面に関して記載されているのは以下の部分である。

<1> 「この取引名使用届出書の作成日付が六一年六月二一日ですからその直前だったと思いますが、私の方からだったと思いますが、保護預けになっている奥さんのKDD株を代用証券にして信用取引をやったらどうかという話を持ちかけたところ望月さんも乗り気になってそのようにすることになりました。」(検面調書二丁裏、三丁表)

<2> 「そして望月さんの会社で私が持参した取引名使用届出書用紙に女の事務員が記載してくれました。望月さんも同席していました。

望月教江さん名義で口座を作り教江さん名義で取引すると言っても、望月滿夫さん本人が行う取引であり、三洋証券ではこのように仮名、借名で取引をしようとする人には後日のトラブルを避けるため、取引名使用届出書を出してもらっていますが、いま見せられた取引名使用届出書はこのような経緯で望月滿夫さんから出してもらったものです。」(同三丁表から四丁表)

<3> 「教江さん名義のものは二〇数回ですので、満夫さんに帰属すべき取引回数は五〇回を大きく越えていたことは判っていました。」(同五丁裏)

4 右の<1>の部分では、坂本が教江名義の信用取引を被告人にもちかけたとはされているが、それが被告人に帰属するものと考えていたのか教江に帰属するものと考えていたのかは明確にされておらず、どちらの意味とも取れるような表現になっている。

かえって右部分には「奥さんのKDD株」という教江名義のKDD株は教江に帰属するものであるともとれる坂本の認識が記載されている箇所があるが、そうであれば後述するように右<1>部分は、教江名義の信用取引についても「奥さんの取引を始めたらどうか。」というように、坂本が、教江に帰属する信用取引を被告人に始めるようにもちかけたと理解する方が、むしろ自然のような記載である。

次に右<2>の部分では、「このように仮名、借名の取引をしようとする人には」という箇所からすると、一見坂本は、当時教江名義の取引が仮名・借名の取引であるとの認識をもっていたという意味に取れそうではある。しかし、右箇所は「三洋証券では、・・・・・取引名使用届出書を出してもらってい(る)」という三洋証券での仮名・借名取引についての一般的扱いを供述している部分であり、坂本がこの時点で教江名義の取引を仮名・借名であると考えていたことを表現する端的な記述になっていない。換言すれば、坂本が教江名義の信用取引開始時にはそれが借名取引であるとの認識をもっておらず、(実際にそうであるが)その後査察官による調査開始時以降になって坂本がはじめて借名であるという認識に至ったということであっても、検面調書の右の箇所の記述とは何ら矛盾しないのである。また、後に詳細に論じるように、検面調書では右箇所に続いて、坂本が被告人から教江名義を借用して取引をする旨の取引名使用届出書を提出してもらったとの内容にはなっている。ところが、本件では右取引名使用届出書の被告人名義の署名が被告人自身によるものではないという動かし難い事実があるから、被告人が取引名使用届出書にたしかに目を通し、内容を理解したか否かが重要であるが、その肝心な事実については、検面調書では全く触れられていないのである。

以上の意味で、右<2>の箇所も、坂本や被告人が教江名義の信用取引を開始するときに、それが被告人に帰属するものとの認識であったという肝心の事実が明確になっていないのである。

最後に右<3>の部分では、たしかに「(被告人に帰属することが)判っていました」という記述はある。しかし、どの時点でそのような認識をもつようになったのか記載されていない。仮に教江名義の信用取引を始める時点で坂本が右のような認識であったとすれば、それ以降認識が変わる理由は考えられないのであるから、はっきりとその旨供述を得ることに何の困難はなかったはずであり、調書にも記載できたはずである。それが調書上明確でない事実は、逆に検察官が、教江の取引開始時点でその取引が被告人に帰属するとの認識をもっていたとのはっきりした供述を坂本から得られなかったことをうかがわせる。しかも、そのような坂本の供述が仮になされていたとしたらそれは教江名義の取引を開始することになった経緯の供述を記載した検面調書の右<1>あるいは<2>の部分に結びついた供述であったはずで、そうであれば右<1>、<2>の部分と一緒に調書に記載されるのが自然である。このように、右<3>の部分は、関連する事実と分断された形で調書の別のところに記載されているため、さらに理解しにくくなっており、その意味でもきわめて曖昧かつ不自然な記述であると言うことができる。

5 再三述べてきたように、教江名義の信用取引について、坂本が、被告人に帰属するとの認識を持っていたか否かという問題は、本件できわめて重要な事実であり、しかも、以下に述べるように、そもそも本件の諸般の事情からすれば坂本の認識としては、教江名義の信用取引は教江に帰属すると考えていたとするのが自然なのである。にもかかわらず、坂本の検面調書では右の通り非常にわかりにくくかつ曖昧な表現で記述されている。そして検察官による取調べ時に坂本が右取引が教江に帰属すると判断している趣旨の記述は明確であるが、肝心の教江名義の取引を開始する時点で坂本が右の認識を持っていたか否かは、一義的に確定することすらできないような表現になっているのである。

このようなポイントをしぼったはずの調書において、そのポイントたる重要な事実がはっきりと記載されていないということは、そこに検察官が明確にしたくともできなかった事情があったと考えざるを得ない。

それは、前述のように、坂本は教江名義の信用取引開始当時、実際にはそれが教江に帰属するものであると考えていたからである。このことについて、さらに坂本の検面調書の内容から、教江名義のKDD株との関連において以下明らかにする。

6 坂本及び被告人は、本件以前に被告人が何回にもわたって長年購入してきた教江名義のKDD株の現物取引(甲九「査察官調査書」(国際電信電話の株式について)参照)については、教江に帰属するものと考えてきたことは疑いない。これは、坂本の証言及び被告人の公判廷での供述、さらに右検面調書の前記<1>にも「奥さんのKDD株」という表現があることからも明らかである。被告人が管理していたKDD株の帰属について調査したことがある静岡税務署も、教江名義のKDD株はすべて同人に帰属するものとして認め、一部被告人に帰属すると認定した被告人の娘達等他の近親者名義のKDD株とは明確に区別していた(一審第七回被告人供述調書二六丁表~三七丁表)が、このことも、坂本ないし被告人の、教江名義のKDD株が教江に帰属するとの認識が確定的なものであったことを裏づける。

さらに教江のKDD株の現物取引について被告人の取引名使用届出書が作成されていないことも、坂本ないし三洋証券静岡支店が、それを教江の取引であり被告人の取引ではないと考え、そのように扱っていたことを示している。なぜなら、取引名使用届出書は信用取引について要求されるものではなく、仮名、借名取引について作成されるものであるから、仮に教江名義のKDD株の現物取引が被告人に帰属するものであると三洋証券側ないし坂本が考えていたとすれば、当然被告人に対して取引名使用届出書の作成を要求したはずであるからである。

取引名使用届出書は借名取引であるため後に取引の帰属主体があいまいになることによる三洋証券の危険をなくすための書類である。本件の取引名使用届出書は、形の上では教江名義の取引について被告人が後に自分の取引ではないと主張されることのないようにするための書類である。株式取引の注文が電話によるため、証券会社にはこのようなトラブルが生ずるおそれが常に存在するのである。しかしながら、現物取引も信用取引も、自己名義のものも教江名義のものの、被告人はいずれも三洋証券静岡支店に電話で注文する方法をとってきたものであり、その点で現物取引でもそれが借名取引であれば、取引の帰属が曖昧になることによる危険は信用取引と同様にあったはずである。したがって、三洋証券の側が取引名使用届出書の作成の必要性において、教江名義のKDD株の現物取引と同人名義の信用取引とを区別する理由は全くなかったと言うことができる。しかるに、三洋証券の教江名義の取引口座(昭和六一年六月に口座が開設されたのではなく、現物取引及び保護預りのために開設されたものである―昭和五三年四月一一日付望月教江名義口座設定及び印鑑登録申込書、同名義顧客口座元帳等参照)を使用して長年にわたり被告人の判断と注文により、教江名義のKDD株の現物取引をしていたにもかかわらず、被告人は三洋証券側から取引名使用届出書を作成するよう求められたことはなかったのである。このように、教江の現物取引において取引名使用届出書の作成が要求されなかったのは、三洋証券の側は、それが被告人の注文によるものではあるが教江に帰属する取引であり、借名取引ではないと評価してきたからである。

以上のように、坂本が教江名義のKDD株の現物取引は教江に帰属する取引であると考えてきたのであれば、教江名義の信用取引を始めるにあたっても、坂本や被告人は、それが教江に帰属すると判断していたと考えるのが自然かつ合理的である。教江名義のKDD株の現物取引と本件の信用取引とを比較すると、現物取引か信用取引か、資金が現金か代用証券たる株式かという点での違いはあるが、それらの相違点は取引の帰属の問題とは何の関係もなく、それらによって両方の取引の帰属を区別すべき理由は全くないからである。もちろん、教江名義の信用取引については、取引の銘柄、株数、金額等の判断及び注文が被告人によってなされているのであるから、被告人の取引になると判断したとも考えられない。KDD株の現物取引のときも、その銘柄、株数、金額、購入時期等はすべてこれまで被告人が判断し、注文も被告人によってなされてきたものであるにもかかわらず、購入したKDD株はすべて教江に帰属するとされてきたからである。この問題については、さらに別に詳論する。

右の通り、被告人は、以前より自らKDD株を購入するのと並行して教江名義でも同じようにKDD株を繰り返し購入してきた。そしてそれは、すべて教江の取引であり、購入した株式もすべて教江に帰属するものであった。少なくとも、被告人も坂本もさらに静岡税務署もそのように考えてきていた。したがって、本件についてもこれと同様に昭和六一年六月当時被告人が自ら信用取引をしてきていたので、それと並行して教江の信用取引も始めたらどうかという話を坂本がもちかけ、それに被告人が応じたということであったと理解する方がむしろ自然なのである。つまり、少なくとも教江名義のKDD株の帰属やそれについての被告人や坂本の認識からすれば、本件信用取引についても同様に、教江に帰属する教江の信用取引を始めるとの認識であうたと考える方が自然であり、合理的なのである。

7 以上の通り、教江名義のKDD株の現物取引と同様に考えると、教江名義の信用取引についても、坂本は、教江に帰属すると考えていたと判断するのが合理的である。そうすると、一、二審判決のように、仮に坂本が教江名義の信用取引は現物取引と区別して被告人に帰属すると考えたとすれば、なぜ区別したのか、いったい両者を区別する理由があったのか重大な疑問が生じる。本件においては、右のように両者を区別した合理的な理由は全く見あたらないのである。

したがって、一、二審判決の言うように、仮に坂本が被告人に教江名義の取引をもちかける際に、それが被告人の取引になると考えていたというのであったとすれば、その理由が明らかにされねばならない。KDD株の現物取引については、教江の取引であると坂本らが考えてきたのに、なぜ信用取引のときには教江の取引と考えずに被告人の取引と考えたのかが明らかにされねば、真実そうであったのか重大な疑問が残ることになるのである。

さらに、検察官が、坂本は教江名義の信用取引を始める際にそれが被告人に帰属する取引だと判断していたと考えていたとすると、その理由についての右疑問点こそ、真実を解明し公判を維持するためにも、坂本の取調べの際に問い正し、調書の中で明らかにしておく必要があったはずである。しかるにその肝心な点が、坂本の検面調書では全く明らかになっておらず、疑問は残されたままなのである。

8 仮に坂本が教江名義の信用取引は被告人に帰属すると考えていたとすると、さらに今度は被告人の認識について同様の疑問が生じる。

坂本の検面調書では、明確ではないものの、一応坂本は、自分ばかりではなく被告人も、教江名義の取引は被告人に帰属するものと判断していたという意味にもとれる内容になっている。すなわち、検面調書の前記<2>の部分では、被告人に取引名使用届出書を作成するように申し出、それに被告人が応じてくれたという内容になっているが、この部分は前述のようにきわめて曖昧ではあるものの、被告人も、当時右取引が自分自身に帰属すると判断しており、かつ坂本にもそれがわかっていたというような意味にも一応理解できる表現になっているからである。そして、一、二審判決も、右のように認定しているのである。

しかし仮にそうであるとすれば、右の教江名義の信用取引を始める際の、その帰属についての被告人の認識についても、坂本自身の認識と同様重大な疑問が生じる。つまり、被告人も坂本同様教江名義のKDD株の現物取引は教江の取引であると考えてきたわけであるから、信用取引についても、教江の取引であると考えるのが自然であり、自己に帰属すると考える合理的理由は存しないからである。坂本から単に「保護預けになっている奥さんのKDD株を代用証券にして信用取引をやったらどうか」という話を持ちかけられただけであれば、被告人もそれは教江に帰属する取引になると判断したと考えるのが自然である。もちかけた坂本も、被告人はそれを教江の取引であると判断していると思った、と考えるのが自然である。

にもかかわらず、被告人が、自己に帰属するものと判断していたというのであれば、その理由が明らかにされねばならない。また、さらに万が一、被告人が自分に帰属すると判断していることが坂本にも判った、というのであれば、その理由も明らかにされねばならない。

ところが、坂本の検面調書では右の点が全く明らかにされないままになっている。したがって、その点できわめて不自然かつ不合理な内容になっており、信用性に乏しいと言うべきである。

9 以上のように、教江名義の信用取引を始めるにあたって、坂本も被告人も、それが被告人に帰属するものであると考えていたとする合理的な理由が存在せず、また、坂本が、被告人の内心について、被告人が右取引は同人自身に帰属すると考えていると認識していたと考えることは、きわめて困難なのである。

しかるに、以上述べてきたように、坂本の検面調書では、第一に、坂本も被告人も、被告人に帰属するものであると考えており、坂本も、その被告人の内心を知っていたという内容になっているとも言えるが、その表現はきわめて曖昧かつ迂遠な形になっており、第二に、通常であればとうていそのような認識であったとは考えられないにもかかわらず、なぜそのような認識になったのかその理由が全く欠落しているのである。このように坂本の検面調書が重要なポイントについて明確でなく、あるいは欠落しているのは、坂本自身からその供述を得ることが困難な事情があったと考えざるを得ないのである。

10 さらに、仮に一、二審判決が言うように、坂本も被告人も、教江名義の信用取引が被告人に帰属するものであると考えていたものとすれば、教江名義の取引を始めるにあたって、両者の間でその帰属に関する話合いが必ず行なわれていたはずである。すなわち、坂本と被告人の間で、例えばKDDの現物取引については教江に帰属するのになぜ信用取引では被告人に帰属することになるのか、その理由が話し合われていたと考えざるを得ない。ところが、そのような具体的なやり取りについても坂本の検面調書には全く記載されていない。このことも、きわめて不自然なのである。

前述のようにKDDの現物取引と同様に教江名義の信用取引についても、坂本と被告人は、いずれもそれが被告人に帰属するものと考えるのが自然であり、理由がある。したがって、仮に万が一被告人が、(理由は想定できないがそれはともかくとして)内心それは自己に帰属するものと考えていたとしても、少なくとも坂本が取引名使用届出書の作成を申し出た際に、なぜ教江名義の信用取引が被告人自身に帰属することになるのか、KDD株の現物取引では教江の取引であると扱い、そのために取引名使用届出書も作成しなかったにもかかわらず、なぜ信用取引では教江の取引として扱わないのかその理由を説明しろと坂本を追及したはずである。なぜなら、右に述べてきた通り、教江の信用取引も教江に帰属すると考える根拠が充分にあることは被告人自身よく判っていたはずであるから、仮に内心は自己に帰属すると考えていたとしても、坂本に対してはそれを隠して、教江に帰属するはずだという主張をしたと考えられるからである。まして、取引名使用届出書を作成することになれば、それは被告人が脱税目的で借名取引をした明らかな証拠を残すことになってしまうから、その作成を拒絶する口実としても、なぜ被告人に帰属するのかの理由を坂本に問い正したはずであり、自分は脱税するつもりはないし、また取引名使用届出書を作成する必要はないと主張したはずである。

三 しかるに、現実に取引名使用届出書は作成されているのである。そして、一審判決の認定では、被告人はその内容を認識した上で信子に指示して作成したとされているのである。仮に、それが事実であったとすれば、坂本と被告人の間で右のような教江の信用取引の帰属がどちらになるのかの話合いが、おそらくは厳しい被告人の追及を含めて行われたとしか考えざるをえない。

まして、坂本にとって被告人は最も大切な顧客であり、被告人の言い分には多少不合理なことでも逆らいにくいという「弱み」があったはずである。しかも、右の場合の「教江名義の信用取引を、なぜKDDの現物取引とは別に扱うのか。」という主張は明らかに理由のある主張である。坂本が、右のように主張する被告人を納得させるに足りる反論ができたとはおよそ考えられない。もちろん、検面調書にも出ていない。まして、坂本の反論が不合理なものであれば、大口顧客である被告人を失ってしまうおそれもあったはずである。

にもかかわらず、取引名使用届出書が作成されたのである。これが仮に被告人の意思によって作成されたものであるとすれば、右のような主張をする被告人に、坂本が反論し、納得させたということである。どのようにそれがなされたのか、まったく不思議なことである。その理由が明らかにならなくては、被告人が取引名使用届出書の内容を本当に理解していたのか大いに疑問が残ることになる。にもかかわらず、検面調書では右理由が全く明らかになっていないのである。

以上のように、坂本や被告人が、仮に教江名義の信用取引は被告人に帰属すると考えていたとすれば、それにともなって当然行われていなければならない右のような両者の話合いについても、坂本の検面調書では、全く明らかにされていない。前述のように坂本や被告人が右取引の帰属を当時どのように考えていたかが最も重要な事実であるのだから、右のようなその主観面を裏づける事実も検察官にとっては検面調書で明らかにしておきたいきわめて重要な事実であったはずである。坂本が教江名義の信用取引は被告人に帰属すると考えていたとの事実が真実であり、かつ坂本が取調べに対して任意に供述していたのであれば、検察官は坂本から何の困難もなく右の点に関する供述を得ることができたはずである。にもかかわらず、検面調書から右の点が全く欠落してるのはきわめて不自然である。

1 さらに、仮に右のような話合いが行なわれ、被告人が、教江名義の信用取引が自己に帰属するという理由について坂本からの説明に納得したとすると、今度は、二人は借名取引を手段とする脱税をすること、すなわち犯罪を犯そうということを、互いに了解しあったということになる。とすれば、そのような犯罪を実行する際に不可欠な謀議的話合いも、必ず行われていなければならないはずである。

犯罪である脱税をしようというのである。それも二人にとって初めてのことである。仮に検面調書にあるのように坂本の方から被告人にその「犯罪」をもちかけたということであれば、被告人の不安、ためらい、発覚しないようにするためにはどうしたらよいか等に関して具体的な話合いや相談が必ずあったはずである。

また、仮に本件が脱税であったとしても、被告人がそれを実行するか否か冷静に判断し決断できる余裕があった事案である。前科もなく、社会的地位、社会的信用もある被告人が、危険を犯しても脱税をせねばならなかったという事情は何もなかったのである。そうだとすれば、特に脱税が発覚するおそれがないか否かについては、被告人と坂本との間で充分な検討がなされ、慎重に決断がなされたと考えられる。

しかも、被告人による教江名義の取引は、教江名義の口座を独立させ、資金の混同をせず、教江名義の取引で得た利益の処分についても被告人が自己の利益を図る目的で行なったことはなく、もちろん被告人名義で行なったこともなく、被告人の行為は外形的事実においては、仮装行為であるか、あるいは教江に株式取引の包括的委任を受けていた場合である合法的行為か、区別をつけることは困難なのである。したがって、仮に仮装行為による脱税であったとすれば、周到な準備と配慮がなされていたということになる。これは、仮に本件が脱税であったとすれば、被告人と坂本との間で犯罪を犯すことを前提としてそれが発覚しないように充分な相談が行なわれていたことになるであろう。

したがって、右のような犯罪の謀議が真実あったとしたら、坂本がどのような言葉で被告人を乗り気にさせたのか、両名のどのような検討の結果脱税が発覚しないであろうという判断がなされたのかも、検察官が公判で被告人の主観面を立証するにおいて重要な事実であり、通常であれば、それを検面調書でも明らかにしたいと考えていたはずである。しかるに、坂本の検面調書では右のように単に「望月さんも乗り気になって」という抽象的で内容のない言葉が記載されているにすぎないのである。

2 以上述べてきたように、取調べにおいて明確にされるべきであった重要な事実がきわめて曖昧な表現になっており、あるいは記載されていても不合理な内容になっており、さらには欠落しているという点は、基本的に坂本のてん末書でも同様である。さらに、被告人のてん末書、検面調書でも同様に、右の重要な事実の記載がきわめて不十分であることは同様であり、特に被告人が脱税の意識を有していたことを裏づける坂本との話合いの具体的状況は全く欠落している。したがって、検察官が坂本の取調の前にてん末書等を検討したことで右具体的事実が抜けあるいは記載が不十分であることに不自然な感じを受けたはずである。まして被告人の主観面の事実は公判での公訴事実の立証にとって不可欠の事実なのであるから、検察官は前記のような各具体的事実を坂本の取調で当然明らかにしなければならないと考えていたはずである。

また、信じ難いことではあるが、取調べの際検察官がその点を意識していなかったとしても、一、二審判決が認定したように、坂本が教江名義の取引が被告人に帰属すると考え、それを前提とした被告人との話合いなどを真実体験していたのであれば、右取調の際に検察官が坂本に対して事実を質問していくときの時間的あるいは論理的流れの中で、当然検察官から質問が出され、あるいは坂本が自然に供述したはずの部分なのである。もちろん、坂本は調査段階から被告人の脱税に加担してきたことを素直に認めていたというのであるから、右のような供述のみを拒絶する理由は何もなかったはずである。

しかるに、検面調書では肝心の右部分は全く抜け落ちてしまっているのである。坂本も被告人もこれだけ多くの調査・取調を受け、これだけ数多くてん末書・調書が作成されており、右部分を除いたほとんどの事項にわたって詳細かつ具体的なてん末書・検面調書が作成されている。にもかかわらず、本件の最も重要な争点である坂本や被告人の主観面に関する事実だけはきわめて不十分なのである。

しかも、後述するように、特に取引名使用届出書の作成経緯に関連して、坂本及び被告人の主観面にかかわる事実がてん末書・調書に記載されていないことについては、査察官や検察官は証言においても合理的な説明ができず、むしろ不自然な説明に終始しているのである。その原因は、結局、査察官や検察官は、坂本が証言しているような強引な取調べによって事実に反したてん末書ないし供述調書を作成してきたものの、全く存在しなかった坂本と被告人との間での前記のような具体的なやりとりまでは、実際に何も体験していない坂本には供述させることができなかったからであると考えられるのである。

したがって、右のように本件で最も重要な事実である坂本及び被告人の主観面に関する事実、それを裏づける事実に関する供述、特にKDD株の現物取引との比較の上での取引の帰属に関する二人の話合いについての供述、さらに一緒に犯罪を犯そうとする者の間に当然あってしかるべき具体的なやり取りに関する供述が、調査・取調の段階で全く欠けている理由として想定できる理由はただ一つだけである。すなわち、坂本が実際には何も体験していなかったからである。すなわち、坂本も被告人も教江名義の取引を始める際に、それが被告人に帰属するものであるという認識がなく、したがって脱税目的であるとの認識も全くなかったからである。

坂本も被告人も、真実は教江名義の取引は被告人の取引ではなく教江の取引であると考えていたのである。しかるに、査察官から「教江名義の取引は被告人の取引である。」と決めつけられた。それは単なる事実の問題ではなく税の専門家である査察官の「判断」であった。そのため、素人である両名は結局調査段階の初めのころからそれを認めざるを得なかった。こうして事実ではなく判断としての「被告人への帰属」を認める内容のてん末書・調書が両名について作成された。

しかし、右両名とも教江名義の取引を開始するときには、実際にはそれが教江の取引であると考えていた。そのために、教江名義の信用取引を始める際に、本当に被告人に帰属するものであると考えていたとしたら当然行なわれていなければならない右に述べたような具体的やり取りが検面調書からは全く欠落してしまったのである。

以上のように、坂本も被告人も、教江名義の信用取引は教江に帰属するものと考えており、もちろん脱税の意識は全くなかったために、査察官も検察官も右両名からそのような事実を供述させることができず、検面調書からも欠落しているのである。

四 取引名使用届出書の作成の際の坂本と被告人との具体的話合いの状況がてん末書・調書では全く抜けていること

1 取引名使用届出書の作成の際の被告人の主観面と関係する坂本と被告人との具体的話合いの状況が、坂本のてん末書・検面調書に抜けている事実も、前記二で述べた本件できわめて重要な被告人の教江名義の取引の帰属についての認識等の主観面に関する具体的事実についての供述が坂本検面調書から抜けていることと同様に、一、二審判決の事実誤認を明らかにするものである。すなわち、取引名使用届出書はもともと作成者の自筆によることが要求されている書類であるにもかかわらず、被告人名義のそれが望月信子が代書した形になっていること、取引名使用届出書には脱税を自白するような内容の書類であること、そして同書の作成時に関する具体的事実が右の通り欠落している事実からすれば、被告人の公判廷での供述、坂本及び望月信子の証言のように、被告人は取引名使用届出書の存在を知らず、被告人が全く関与しないままに同書が作成されたと考えざるを得ないのである。

2 一、二審判決の認定したように、被告人が教江名義を借用して脱税をしようという意図をもっていたのであれば、前述のように坂本と被告人との間でそれが発覚しないようにするための話合いが行なわれたはずである。ところが、取引名使用届出書は教江名義の取引は被告人が自分の取引であると認める内容の書類である。つまり、教江名義の取引は被告人が脱税をするための手段としてなされたことを被告人自身が認めるもので、脱税目的を自白するような内容をもつ書類である。少なくとも実際に本件査察の際にそうであったように、脱税であることの最も重要な証拠として使用されうるものである。したがって取引名使用届出書の存在によって脱税が税務署等に発覚するおそれが高くなり、しかも発覚したときには弁解不可能になることは確実である。

3 このような取引名使用届出書の性格からして、仮に一、二審判決が認定したように坂本が脱税をしようとしている被告人にその作成を求め、被告人が取引名使用届出書の性格を承知した上で作成したのであれば、その前に被告人から坂本に対して、これを作成すれば税務署に脱税が発覚し、言い逃れることが不可能になる虞があるのではないかという疑問が提出され、それに対する坂本の説明、さらには被告人がそれを納得するに至った話合いが必ずあったはずである。しかも、坂本が被告人を説得することはきわめて困難であったはずである。

さらに前述のように、教江名義の現物取引が教江に帰属する取引とされてきた事実からすれば、信用取引については被告人に帰属するということを坂本が被告人に合理的に説明し、納得させること自体、きわめて困難であったはずである。

4 また、本件取引は被告人が行なっていた証券会社を通しての株式取引であるから、どこの証券会社でも同じ取引ができたのである。したがって、被告人は坂本や三洋証券から自分が納得のいく扱いをされなかった場合、それを甘受しながら三洋証券静岡支店でなお取引を継続しなければならない理由は全くなかったはずである。被告人のような大口取引をする顧客は、他の証券会社からも優遇して迎え入れられたと推測される。したがって、三洋証券の坂本が被告人に対して、取引名使用届出書を提出しなければ取引ができないという言い方をしたのであれば、被告人は別の証券会社を通して教江名義の株式取引を始めることはきわめて容易であったはずである。

まして、被告人の二女の伸子は教江名義の信用取引を開始した昭和六一年六月当時、既に協立証券に勤務しており、協立証券の取引であればむしろ好都合であったと考えられる。そして実際に、その後被告人は協立証券でも教江名義の株式取引を行なっているのである。

5 右のような意味で、坂本は被告人の意向に強く逆らうことはきわめて困難な状況におかれていたはずである。そして、坂本の取引名使用届出書の作成依頼を被告人が知っており、被告人がそれを作成前に読んでいたとしたら、被告人はそれを作成したくないとの意思を表明したことは絶対であるし、坂本がそれを説得することはきわめて困難だったはずなのである。

坂本のてん末書には、

「私としても顧客の依頼を断わるわけにも行かず、」(坂本征生昭和六二年九月一〇日付てん末書四丁表)、「ただ私たち営業マンは、お客さんの申し出であれば悪いことだと思ってもお客の意向を無視して取引を続けることはできませんのでしかたなく、お客さんの申し出を受け入れることがありますのでご理解下さい。」(同九月二二日付てん末書一一丁表)

などの供述部分があるが、これは坂本のおかれていた状況をよく現わしている。このような関係にある被告人から取引名使用届出書の作成について異議がでれば、坂本はとうていその意思には逆らえなかったはずなのである。

6 以上のように検討するだけで取引名使用届出書が被告人の意思に基づいて作成されたのかはきわめて疑問であることは明らかであるが、万が一被告人の意思に基づいて作成されたものであるとすれば、右に述べた事情からして被告人と坂本との間では事前に相当いろいろな内容の話合いがなされたはずである。

にもかかわらず、取引名使用届出書の作成経緯についての検面調書の内容は、

「そして望月さんの会社で私が持参した取引名使用届出書用紙に女の事務員が記載してくれました。望月さんも同席していました。」(同書三丁表)

ということでしかない。これで全部なのである。

しかも、「同席していました。」だけでは被告人の関与の程度が全く明らかになっていない。被告人が用紙を手にとったのか、中を読んだのか、坂本が口頭で内容を説明したのか、被告人は拒絶の意思を表明したのではないか、それに対して坂本がどのように説得したのか、そのことが重要なのであり調書もそこを明確にできるかがポイントだったはずである。

坂本の検面調書を作成した鈴木眞一検事も「被告人が取引名使用届出書についてしっかり認識していたかどうかということがポイントになるんですか。」との弁護人の質問に対して、「それだけがポイントじゃないかも知れませんが、少なくとも大きなポイントの一つですね。」と証言し(同人証言調書一二九丁裏、一三〇丁表)、右具体的事実を明らかにすることが捜査において、特に坂本や被告人の取調べにおいて重要なポイントであったことを認めているのである。

にもかかわらず、検察官が右のような重要な事実を調書から欠落させているのは、結局その点について「同席していました。」という内容以上に坂本から供述を得ることができなかったのは、そもそも右のような具体的事実が存しなかったからであると考えざるを得ないのである。

7 以上のように、教江名義の取引を始めた際の話合いと同様に、これだけ多くのてん末書・検面調書があるにもかかわらず、しかも坂本のそれにも被告人のそれにも取引名使用届出書を作成するときの具体的な話合いの内容が記載されておらず、肝心の事実が欠落したポイントを外したような調書になっているのは、そのような話合いがもともとなかったことの証左である。そして、取引名使用届出書の作成当時、脱税をしようとしたのであれば当然あるはずの具体的話合いが全くなかったとの事実は、被告人が取引名使用届出書を脱税の確固たる証拠になることを全く心配していなかったことを意味する。

8 それは、二審判決の言うように、取引名使用届出書が「申告に添付するような書類でないから」被告人が心配していなかったのではない。そもそも脱税をする者が申告の添付書類の中に脱税をうかがわせるような資料を入れようとすることなどありえない。まして、脱税を自白するような書類を添付するはずがない。脱税する者が、脱税の発覚を恐れるのは自己の申告書の中の資料からでは断じてない。そうではなく、脱税する者がおそれるのは、他人が管理、所有している資料を税務調査等によって税務署に発見されることである。それにはもちろん証券会社の内部資料も含まれる。むしろ取引名使用届出書のような文書こそ、脱税しようとする者が、税務署が入手して脱税が発覚するのではないかともっとも心配をする性格の書類である。

そして実際に本件においても内偵段階より国税局は取引名使用届出書の存在を把握しており、査察時において三洋証券静岡支店より取引名使用届出書が国税局に任意提出され、調査の際に被告人の行為が脱税であることを証する最も重要な証拠として使用されているのである。

9 右のような通常作成されることなどありえない書類が作成されていたのである。それがなんの心配もためらいもなく作成されたのである。したがって、少なくとも被告人は取引名使用届出書の内容を全く知らなかったと考えざるを得ない。もっとも被告人が脱税しようとしたのではなくとも、作成前に取引名使用届出書の内容を知っていたとすれば、被告人はその作成に応じなかったと考えられる。同書はその場合事実と相反することを認める書類であることになるし、また脱税を疑わせるような内容の書類であることになるからである。

10 結局、坂本の検面調書に取引名使用届出書を作成する際の被告人との話合いの内容が欠けているという事実からすれば、被告人が脱税をしようと意図していたものであろうとなかろうと、いずれにしても被告人はこのような重大な内容をもつ取引名使用届出書の存在を知らなかったと考えざるをえないのである。

ちなみに、取引名使用届出書の右のような性質からすると、被告人のみならず、坂本自身も作成したくなかった書類であると考えられる。それは、坂本にとって、自分が被告人の脱税に協力したことの証拠にもなるからである。そうなれば、場合により監督官庁である大蔵省から、三洋証券の責任が問われるおそれすら考えられるからである。

したがって、坂本がなんの躊躇もなく取引名使用届出書を作成させたことからすると、被告人のみならず坂本自身も同書の内容を正確には理解していなかったと推測されるのである。

以上のようなことからすると、取引名使用届出書は、被告人も坂本も中身を知らずあるいは性格に理解しないまま作成された可能性が高いのであるから、教江名義の取引が被告人に帰属するという本件の最も重要な事実の認定にはとうてい使用できない証拠であるというべきである。

五 教江名義の信用取引は被告人と坂本のどちらから申し出たものかについて、坂本の供述が変遷している事実は、当時坂本が脱税しようとの意識がなかったことを示していること

1 被告人が昭和六一年六月より教江名義の取引を始めたのは、坂本にすすめられたものかあるいは被告人自身が申し出たものかという事実について、調査段階の坂本の質問てん末書とそれ以降の捜査段階の検面調書が相反した内容になっている。すなわち、坂本の検面調書では、「私の方からだったと思います」(検面調書二丁裏)とされているが、これに対して坂本のてん末書では、被告人から申し出があったとされている。すなわち、「望月教江名義を利用して信用取引をしたいと望月滿夫さんから申し出があり」(昭和六二年九月一〇日付てん末書四丁表)、「妻名義で信用取引口座を開設して欲しいという話がありました。」(九月二二日付てん末書八丁表)などとされている。

2 これは前述のように本件が仮に名義借用の方法による脱税であったとすれば、この犯罪を坂本と被告人のどちらが思いつきもう一人にもちかけたのかという、きわめて重要な事実である。このように重要な事実が変遷していること自体、坂本の検面調書の信用性を疑わせる事情であると言うことができよう。そしてさらに以下のように具体的に検討すると、検面調書の内容についての疑問がより大きくなってくる。

3 一、二審判決の認定では教江名義の取引については、前述のように坂本と被告人の両名とも、それが脱税の手段であり犯罪をしようとの意図で行なわれたことが充分に判っていながら、あえてそれを犯したとされている。とすれば、教江名義の取引を始めるという提案は、犯罪を犯そうという提案であることになる。坂本も被告人もこれまで前科はない。むしろ両名とも当時社会的にそれなりの信用と地位にあった者である。そのような立場にある者が、自分から、しかもそれまでの自分と同じようにこれまで犯罪に縁のなかった者に対して犯罪をもちかけるのである。もちかけることに躊躇、不安があって当然である。特に坂本にとっては、自分は共犯にすぎず、相手の被告人を主犯とする脱税をもちかける話であり、仮にそのような申し出をしたのであれば、被告人がどのように対応するのか相当に不安であったはずである。

そして、もし真実自分からもちかけたとしたら、それは右のような感情とともに強く記憶に残ったと考えられる。感情と結びついた記憶は強く刻み込まれるものである。逆に、相手方からもちかけられたものであったとしても、犯罪への誘いであり、その共犯者とされるのであるから、同様に躊躇、不安があったはずである。そして、このことも強く記憶に残っていたはずである。

4 このような犯罪をもちかけ、あるいはもちかけられた者の内心について被告人のてん末書にも検面調書にも、また坂本のてん末書、調書にも、一行たりとも記載されていないのはきわめて不自然なことである。これは前記の通りである。

さらに、教江名義の信用取引の提案はこのような重大決意によって行なわれたはずのことなのであるから、仮に検面調書のように坂本の方からこの犯罪をもちかけたということであれば、坂本にその記憶がなかったということはありえない。その意味で坂本の検面調書の「私からだったと思います。」という曖昧な記載は、きわめて不自然である。

5 また、坂本の方からもちかけたことが事実であれば、調査の段階では坂本は査察官に対して虚偽の供述をしていたということになる。仮に坂本が調査の段階で虚偽の供述をしたということが事実であるとすれば、虚偽の供述をした理由について合理的に説明できなければならない。

この点調査の段階では、坂本は自分の責任を軽くするために、被告人から申し出があったという嘘をついたと考えれば、一応説明可能かもしれない。脱税を発案し相談をもちかけたのは被告人であり、自分はやむなくそれに応じただけだという説明である。

しかし、問題はそうであればなぜ今度は検察官の取調の際には自分の方からもちかけたという供述になったのか、なぜこの段階で前言を翻して真実を供述する気持ちになったのか、それが合理的に説明できるかという点である。

6 右の仮定では、坂本は、自らの責任を軽くしようとしていったん虚偽の供述をし、しかもその嘘について「望月教江の名義を利用して信用取引をしたいと望月滿夫さんから申し出があり、私としても顧客の依頼を断わるわけにも行かず、」(坂本征生昭和六二年九月一〇日付てん末書四丁表)、「三洋証券の方からお客に対してお客の取引回数が五〇回を越えないように法をいつ脱した方法を指導することは、絶対にありえないことです。ただ私たち営業マンは、お客さんの申し出であれば悪いことだと思ってもお客の意向を無視して取引を続けることはできませんのでしかたなく、お客さんの申し出を受け入れることがありますのでご理解下さい。」(同九月二二日付てん末書一一丁表)などと被告人の側から申し出があったのであり、自分は受身的立場でかつその申し出を拒絶することは困難な状況にあったという一応説得的な説明をしており、それもてん末書に記載されているのである。しかも被告人から申し出があったという内容は、調査の段階で作成された坂本のてん末書すべてにおいて一貫している。このことは査察官も右の点についての坂本の供述に納得していたことを推測させる。

したがって、検察官の取調の段階になって今度は調査の段階での供述を翻し、あえて犯罪をもちかけたのは(教江名義の取引を始めたらどうかと被告人にもちかけたのは)自分であると供述する必要は全くなかったはずである。

7 それでは、検察官は教江名義の取引をもちかけたのが坂本であることを他の証拠から確実に把握していたのか。それを根拠に坂本を追及して真実を語らせるに至ったのか。

この場合他の証拠として考えられるのは、脱税を共謀した相手方とされる被告人の供述しかない。しかし、被告人のてん末書及び調書の中では、教江名義の取引は、坂本のてん末書と同様、被告人の方から坂本に持ちかけたとされている。しかも検察官は自ら坂本を取り調べる前日である昭和六三年二月一八日に被告人を取調べ、同様に被告人から直接教江名義の取引は自分から申し出た旨の調書を作成していたのである(被告人検面調書三丁表、裏)。したがって、検察官が坂本を取り調べた段階では、被告人から申し出があったということで検察官の手持ちの証拠は一致しており、それに反する証拠もなく、しかも前日被告人の右内容の調書を作成しているのであるから、この点について検察官は疑問には思うような材料は全くなかったし、疑問にも思っていなかったということである。したがって取調時に坂本に対してこの点の一応の確認はしたかも知れないが、真実逆ではないかとして坂本に追及する材料もなく、そのような追及の仕方もできなかったと考えられる。

8 にもかかわらず、坂本は検察官の取調の際に、調査段階と異なり教江名義の取引を始めるように言ったのは自分であると供述したのである。これはきわめて不思議なことである。このように、なぜ坂本は検察官の取調になってそれまでの供述を翻すことになったのか。しかも、検察官の追及なくして、自ら進んで自己の不利益な供述をするに至ったのか。

9 この点は、以下のように考えるしかない。すなわち、坂本は、検察官による取調べ時には、教江名義の取引を申し出たのは自分であると供述をすることが自分に不利になるとは全く思っておらず、後ろめたさや隠したいとの気持ちを全く感じていなかったために、進んで不利益な供述をしたのである。

教江名義の取引を発案し被告人に勧めたのは真実坂本であった。しかし、坂本は当時教江名義の取引をすることが借名取引であり脱税であるとは考えてはいなかった。しかし専門家たる査察官から教江名義の取引が被告人の取引であるという帰属についての「判断」を強く押しつけられた。そのため、査察官の右「判断」については意に反し受け入れざるを得なかった。

しかし、教江名義の取引きは勧めたが借名取引による脱税を勧めたことはないという確固たる意識のある坂本としては、それを脱税であると決めつけていた査察官に対しては、教江名義の取引を勧めたこと自体を認めることはできなかったのである。それを認めることは、脱税を積極的に勧めたことを認めることを意味したからである。

しかも、脱税を勧めたのが自分であると認めたのであれば、坂本自身の責任はもとより、坂本の上司さらには三洋証券の責任が出てくる可能性も考えられたはずである。

以上のような理由から、坂本は調査の段階では、教江名義の取引を勧めたのが自分であることを認めることはできなかったのである。そのため坂本のてん末書では、発案したのが坂本でなければ被告人であるとして、論理的に被告人の方からの申し出があったという供述にならざるを得なかったと考えられるのである。

10 しかし、検察官の取調は状況が違った。検察官の取調は簡単であった。検察官の取調の段階では、すでに基本的に査察官の意向に添った坂本のてん末書が作成されていたため、てん末書の内容の一部についてのみ確認しようとしただけであった。

それで検察官は坂本に対して「脱税をもちかけたのはどちらか。」ということではなく「教江の取引をもちかけたのはどちらか。」という質問の仕方をしてきた。しかも、検察官は教江の取引が被告人に帰属するということはてん末書の内容からして何も争いがない事実であると考えていたので、その帰属のことを坂本に確認しないまま、教江の取引をもちかけたのはだれかという質問をしたのである。そのため、取調の時点でも教江の取引が違法であるという明確な意識のない坂本は、率直に「自分の方からと思う。」と自然に真実を述べてしまったのである。

検面調書の記載上でも、坂本の供述の内容が「借名取引ないし脱税を勧めたのは自分だ。」という記載の方法でなく単に「教江名義の取引を勧めたのは自分だ。」という形になっていることが右の事実を裏づけている。さらに、検面調書では教江名義の取引きを勧めたのが坂本であるとの部分(検面調書二丁裏)と、それが被告人に帰属するという部分(同五丁裏)とは別の離れた箇所に記載されており、借名取引や脱税の観念と結びつけては考えにくい形になっている。このことも、検察官の質問の方法が右のようなものであり、また坂本が違法の意識を感じなかったことを裏づけるものである。この検面調書は、全体として、教江名義の取引は借名取引で脱税の手段であり犯罪であるという印象を受けにくい作成の仕方がされているのである。

そして、坂本は脱税と結びついた記憶ではなかったため、記憶自体があいまいであり、あるいは調査段階では逆の内容のてん末書を作成していたことに検察官が気がついており、断定的な表現ではてん末書の信用性を害するおそれがあったため、坂本ではなく検察官の都合で「思う。」という曖昧な記述になったと考えられるのである。

11 坂本の右の点の供述の変遷は、右のような考え方による以外、説明の方法がないのである。

これに対して鈴木検事は、右の変遷の理由について以下のように証言している。「こういうてん末書があったもんで意識して聞いたんですよね。そしたら、最初はてん末書みたいなふうに言ったんですけれども、これは証拠としては出すことはできないんですけれども、証券会社のほうがこういうことをやっているということは周知の事実ですから、本当かと聞いたら、私かも知れないと言い出したんですよね。」(同人証言調書一二四丁裏、一二五丁表)。

まず右証言のうち、最初の部分の「意識して聞いた」という部分はとうてい信用できない。前述のように、てん末書上は坂本に「意識して聞く」ような疑問点は全くなかったはずであり、まして前日鈴木検事自身が被告人の取調において自分から申し出た旨の調書をとっているからである。もし本当に疑問を抱いていたのであれば、まず被告人にその点を追及するはずであり、真相が「坂本から勧められた」というのであれば、その旨の供述は坂本からよりも被告人からの方がよほど得やすかったはずだからである。

そして、右の証言全体としても、一貫して虚偽の供述をしてきた坂本が簡単に検察官に対して供述を翻した理由を何も説明できていない。右証言は、結局、坂本が簡単に供述を翻したという経過を説明しているにすぎない。証券会社が借名取引を顧客に勧めているということを仮に検察官が追及の材料にしたとしても、坂本としてはそれを単に否定するか、少なくとも自分ないし三洋証券は、坂本のてん末書のあるようにそのようなことは絶対にしていないと、否定すればよかっただけである。

問題はそうではなく、鈴木検事も右証言で認めているように、何ら追及する具体的材料・証拠がなかったにもかかわらず簡単に坂本が供述を翻したのはなぜかということであり、それは前述のように、坂本が脱税の意識がなかったことに理由を求める以外に合理的な説明は不可能なのである。

12 以上のように、教江名義の取引を始めたのは坂本の勧めであったにもかかわらず、てん末書において逆の供述がなされ、それが検面調書において翻された理由を考えると、坂本は、教江名義の取引を脱税の手段として使用するという違法の認識を当時全くもっていなかったことが明らかになるのである。

そして、このことは、坂本が、教江名義の取引は教江に帰属するものであり、被告人に帰属する取引であるとは考えていなかったことを意味する。もちろんそうであれば、被告人もまた、自己の取引であるとは考えていなかったことになるのである。

六 検面調書の株式取引回数に関する供述間に矛盾があり、不合理であること

1 本件では、昭和六一年の株式取引回数に関して、被告人名義のものと教江名義のものを合計すれば五〇回を越えていることについては争いがなく、坂本及び被告人のてん末書や検面調書でも、右の点は完全に一致している。しかし、教江名義の取引を開始した昭和六一年六月当時の被告人の取引回数については、教江名義の取引を始めた動機と関連して重要な争点となっている。ただし、ここで回数が問題となるのは右の動機すなわち被告人の主観的事実との関連であるから、右時点の客観的に正しい回数が問題なのではなく、当時坂本ないし被告人がどのような計算方法によって主観的に何回であると考えていたのかが問題なのである。

2 坂本の検面調書において株式取引の回数が具体的記述されているのは以下に掲げる三箇所である。

<1> 「ところでこの段階(教江名義の取引を開始する六月二一日時点)での望月さんの昭和六一年度の株式売買回数は、実数では五〇回を越えていたと後になってから判っておりますが、この時点では四〇回くらいであると判断していました。」(四丁表)

<2> 「次に望月さんの株式売買回数ですが、私としては望月さん名義の六一年度の売買回数は五〇回を若干下回ると思っていました。教江さん名義のものは二〇数回ですので、満夫に帰属するべき取引回数は五〇回を大きく越えていたことは判っていました。」(五丁表、裏)

<3> 「五〇回を越える虞があったので奥さんの名義を使ったわけですが、」(五丁裏)

3 しかし右の三つの部分は、相互に矛盾し統一的な理解が不可能な内容になっている。端的に言うならば<2>の内容が正しいとすれば、<1>、<3>の内容はありえないということになる。後述するように<2>で使用された回数の計算方法では、六月二一日の段階で四〇回位にはなっておらず、<1>の内容とは相入れないものになっており、取引をやめるか不正な方策を講じなければ五〇回に越える虞があったともいえないからである。

そこで、まず<2>の内容である坂本が当時使用していた株式取引に回数の計算方法について証拠から確定する。

4 坂本が、昭和四一年当時用いていた株式取引回数の計算方法については、検面調書では言及されていないが、てん末書においては坂本はほぼ一貫して同一内容の供述をしている。すなわち、

「お示しの伝票から私が昭和六一年分の望月滿夫さんの約定日、売買銘柄、株数及び取引回数を書き出したものを貴局に提出します(添付された取引明細表のこと)。」(昭和六二年九月一一日付てん末書三丁表)「同一日に売り、買いの注文があったものは、銘柄数に関係なく一回ずつとして数えていただければ、前回の質問調査の際にお答しましたように、社長で四七回になります。」(昭和六二年九月二二日付てん末書一〇丁表)

「私は売買計算をするに際し、指し値単価の訂正とか数量の増減については、売買計算の際には、考慮にいれておりませんでした。私の計算では、昭和六一年分の取引回数は、望月滿夫で四七回、望月教江名義で二四回です。」(昭和六二年一〇年六日付てん末書四丁表)

「望月滿夫さんに対する査察調査があるまで、私自身、株式取引の売買回数の計算に際しては、売買注文の内容変更、例えば指し値の変更とか、売買数量の変更とかは全く考慮にいれないで、一日の場が終わって、約定ができた売買は、銘柄数に関係なく、売りで一回、買いで一回で計算していました。望月滿夫さんには、注文伝票総括表の回数と、注文伝票総括表を使用しなくなってからは、一日の売りを一回、買いを一回として計算した回数で、昭和六一年については望月滿夫さんで、四七回、望月教江名義で二四回と報告していました。」(昭和六二年一一月一一日付てん末書五丁表、裏)とされている。分かりにくい部分があるが、結局坂本としては、一回(一日の注文は基本的に一回限りであった)の注文によった場合は銘柄数やその後の指し値の変更に関係なく、さらには総括表を作成していなくても売りと買いを各一回として計算していたということである。そして、右坂本の計算方法によれば、結局昭和六一年の被告人名義の取引回数は四七回になるというのである。これは、公判廷での坂本の証言とも合致しており(一審坂本証人尋問調書一二丁裏、一九丁表、二審坂本証人尋問調書一七丁裏以下)、信用性はきわめて高いと考えられる。

5 そこで、坂本の検面調書の前記<2>の内容を見ると、これはまさに坂本の右の計算方法によったものと考えてよい。なぜなら、右記述自体坂本自身が「思っていた。」とされている点から、正しいか否かは別として当時坂本が被告人の取引回数を数えるのに用いていた計算方法であると考えられるし、実際坂本が使用していた右計算方法によれば昭和六一年の被告人名義の取引回数は四七回となるとされており「五〇回を若干下回る」ことになるし、教江名義の取引は二四回とされており「二〇数回」であるからである。

6 しかし、右の坂本が用いていた計算方法によると、昭和六一年六月二一日時点では二八回ないし三四回くらいにしかならず、とうてい四〇回くらいとは言えない(九月一一日付坂本てん末書末尾取引明細表、同三丁裏参照)。したがって、右<1>の「昭和六一年六月二一日時点で四〇回くらいと判断していた」との内容と右<2>の内容とは明らかに矛盾することになる。実際、坂本の四通のてん末書において、昭和六一年六月二一日当時四〇回くらいとする右<1>と同じ内容の供述は全くなく、「四〇回くらい」という数字は検面調書で突如出てきたもので、その意味でも右<1>の内容は信用性においても、また坂本の任意の供述であるかもきわめて疑問である。

同様に六月二一日という一年の半分を越えたくらいの時点で制限回数である五〇回の半分を少し越えた位の回数なのであるから、その後の取引回数を管理すれば五〇回未満に押さえることはきわめて容易であったはずであるので、この時点で五〇回を越える虞があったともいえない。六月時点で三〇回前後(二八回ないし三四回)くらいの回数の程度で、それでもなお五〇回を越える虞があるというのであれば、結局右時点で何回であろうと五〇回を越える虞があったということになろう。しかも、そうであるとすれば今度はなぜ「六月」に虞を感じ、教江名義の取引を始めたのかかえって説明ができなくなるであろう。加えて、教江名義の取引を開始した後も、被告人は自己名義の取引を継続していたことを説明できないし、実際に、被告人名義の取引が継続されたにもかかわらず、昭和六一年の被告人名義の取引回数は坂本の計算方法で四七回にしかならず、実際に五〇回には至らなかったのであるから、右虞は現実的なものではなく「杞憂」でしかなかったのである。

以上のような意味で、「五〇回を越える虞があった」とする右<3>の内容も、坂本の実際の回数の計算方法を正しく供述していると考えられる右<2>の内容と矛盾し、信用性に乏しいと言うべきである。

ただ、右<3>については、一応その内容とほぼ同じ内容の記載のある坂本のてん末書が存在する。すなわち、「昭和六一年六月までの取引が五〇回に近くなり」(昭和六二年九月一〇日付てん末書三丁裏)という部分である。しかし、この内容は、前述のすべてのてん末書で一貫している坂本の数え方では被告人名義の昭和六一年の取引回数が全部で四七回であったとの内容に矛盾することが明らかであるため、その後のてん末書で事実上全面的に訂正されている。

すなわち、「昭和六一年六月下旬、社長から私に電話があり、取引回数を正確にカウントしてほしいと話がありましたので、私は自己の手控え用の株式委託注文伝票(控)から銘柄別に売りを一回、買いを一回とし、メモ用紙に書き出し取引回数を計算したところ、昭和六一年六月二〇日で取引回数が四八回になっておりました。」(昭和六二年九月二二日付てん末書六丁裏)という部分である。つまり、九月一〇日付てん末書の「五〇回に近くなり」というのは、坂本の用いていた回数の数え方である一日一回という方法ではなく、実は銘柄別の数え方であったという説明がなされているのである。

しかし、株式取引の回数の数え方については種々の考え方が存在するにしても、数えることによって常に正確な回数を知る必要があるという性質上、一人の人物が複数の数え方を用いていたということはとうていありえない。複数の人物がいたとき各人の数え方が互いに異なることはあり得るが、それぞれの者は自分が最も正しいと信ずるところの常に同一の方法によって数えていたはずである。そうでなければ、数えることに何の意味もないことになる。したがって、坂本が六一年六月二〇日時点では、それまでの方法と違って銘柄別に数えたなどという九月二二日付のてん末書の右内容は、全く信用性を欠くものである。右部分は、前述のように九月一〇日付てん末書の「五〇回に近くなり」との内容が坂本の計算方法と矛盾することを知った査察官が、つじつまあわせのため、坂本に対して同人が用いていた計算方法は誤っていることを指摘した上で、銘柄別に数えると当時四八回になることをてん末書を作成する際に坂本に確認させて、調書化したものとしか考えられない。したがって、右の「五〇回に近くなり」との部分は、他のてん末書の内容と論理的に矛盾するのみならず、さらに査察官らもその矛盾に気づいていたことを暴露しているもので、その意味でも信用性がないことは明らかである。

右の通り、検面調書の同内容の部分である前記<3>の箇所も同じく全く信用性のないものである。

7 以上のように、

<1> 「ところでこの段階(教江名義の取引を開始する六月二一日時点)での望月さんの昭和六一年度の株式売買回数は、実数では五〇回を越えていたと後になってから判っておりますが、この時点では四〇回くらいであると判断していました。」(四丁表)

<3> 「五〇回を越える虞があったので奥さんの名義を使ったわけですが、」(五丁裏)

の各部分について事実に反した検面調書が作成されたことになる。その理由を考えると、検察官による坂本の取調べないし調書作成がとうてい一、二審判決が認定したような問題のないものとは言えないことが明らかになる。

検面調書の右<1>、<3>の部分は、坂本自身が経験した事実ではない。前述のように坂本のてん末書にもない、あるいは矛盾する内容である。右部分が坂本の体験から出た供述ではないとすれば、他のその起源が考えられるか。

坂本の検面調書の右内容と一致する内容の証拠は、被告人のてん末書及び検面調書である。すなわち、調査段階で査察官の作成した被告人のてん末書並びに坂本の検面調書の前日に作成された被告人の検面調書の中の、「昭和六一年六月ころ自己名義の取引回数が五〇回に近づいた」との部分である。すなわち

「昭和六一年になり、取引回数を、売り一回、買い一回として計算したところ、昭和六一年五月を過ぎたときには四七回くらいになっていました。私は三洋証券静岡支店の坂本営業課長を静岡冷凍設備の事務所に呼んで、取引回数を確認したところ、取引回数も限度いっぱいの四〇数回になっていました。」(九月一〇日付被告人てん末書八丁裏)には、五〇回を越えてしまうと思われましたので、」(同六丁裏)

「しかし、このまま株式取引を続ければ、五〇回の回数を越えてしまい、税金を支払わなければならなくなりますので」(同九丁表)

「昭和六一年五月を過ぎたときに、売り一銘柄を一回、買い一銘柄を一回として計算したら、四七回くらいになっていました。」(九月二九日付被告人てん末書六丁表)

「しかし、取引回数は限度いっぱいに近づいていましたので、いくら総括でやってもいずれは昭和六一年中には、五〇回を越えてしまうと思われましたので、」(同六丁裏)

「昭和六一年五月を過ぎたときに売りを一回、買いを一回として売買回数を計算したら、四七回になっていました。」(一二月二三日付てん末書七丁裏)

「私は、これ以上取引を続ければ、五〇回の回数を越えてしまうことから」(同七丁裏)

「いくら総括表と使っても取引回数を五〇回以下に押さえるのは難しいと思ったこと」(同八丁表)

「そして売買回数が私の計算で五〇回に近づきました。」(被告人検面調書三丁表)「六一年の六月ころのことですが、私の株式取引回数が私の計算で五〇回に近づきました。」(被告人検面調書七丁裏)

「総括表を使ったとしても私の取引を続けると五〇回の回数を越えてしまうし」(同八丁裏)

という部分である。それ以外にはない。したがって、検面調書の右<1>、<3>の部分は、検察官が誘導した結果、あるいは検察官の思惑に坂本が迎合した結果、右のような内容になったと考えざるを得ないのである。

8 しかも加えて、右<1>の内容である昭和六一年六月二一日時点ですでに五〇回を越えているとする数え方は、実は存在しないのである。最も回数の多くなる売買報告書による銘柄別に売りを一回、買いを一回とする計算方法によったとしても、前述の坂本の九月二二日付てん末書の引用部分の通り四八回でしかないのである。したがって、右部分は回数の数え方による裏付けすらない、全くの虚偽の内容になっている。これは存在しえない事実なのであるから、もちろん坂本の体験できる内容ではない。

右<1>には続けて「後になってから判っております」との部分があるが、数え方自体が存在しないのだから、坂本が「後で判った」はずもなく、体験供述のような表現でありながら、それは明らかに虚偽であることになる。

以上のような体験しえない内容の事実は、坂本の経験を起源とするものではない。右内容の起源は他の証拠には見あたらないが、いずれにしても、坂本の体験以外の事実が記載されている点で、坂本の検面調書はこのことからも明らかに信用性を欠くものである。

9 以上の通り、右の株式取引の計算方法に関する検面調書の内容からすれば、坂本の検面調書の内容は、坂本の体験していない事実、他の証拠を起源とする事実が含まれていること、しかもその事実は検面調書になって突如出てきたことなどからすれば、検面調書の作成状況には特信状況があったとはとうてい考えられず、また信用性も著しく乏しいものであることは明白である。

七 教江名義の取引を始めた理由(犯行の動機)が不合理であること

1 教江名義の取引が一、二審判決の言うように回数制限を潜脱する脱税目的であったとすれば、同取引を始めた理由は、本件犯罪事実とされる脱税の動機に関する事実ということになる。犯罪の動機は、本件のように被告人が否認している事件では、被告人が犯罪を犯したか否か、自白がある場合にはその自白が信用できるものであるか否かを判断する際、特に重要な資料となり得る部分である。なぜなら、通常犯罪を犯した者でなければ犯行の動機をもっていないからである。

しかし、無実の人の自白調書であっても、ほとんど必ず犯行の動機は調書に記載されている。それは、無実の人が犯人の気持ちを推測し、あるいは捜査機関の思惑に迎合しながら虚偽の動機を供述していくからである。ところが、全く存在しなかった虚偽の動機であるが故に、他の証拠と矛盾したり、あるいはその内容自体に不合理が生じることが多い。そこで、動機がその内容自体不合理であるか否か、動機が客観的な証拠と合致するか否かなどの検討によって自白調書の信用性を判断することができる場合があるのである。

2 本件において坂本は、坂本自身が起訴されているわけではないが、仮に被告人の行為が犯罪であったとすればその事情をすべて認識し、それに協力した共犯者であることになる。したがって、被告人の犯罪が成立するとすればその犯行の動機についても坂本は正確に理解していたはずである。そこで、坂本の検面調書の信用性を判断するにあたってもそこで記述されている被告人の犯行の動機、すなわち教江名義の取引を始めた理由が合理的なもので、客観的事実にも合致するものであるか否かを検討する意味がある。

3 本件の動機について坂本の検面調書では前記部分で引用した通り

「ところでこの段階(教江名義の取引を始めた昭和六一年六月二一日段階)での望月さんの昭和六一年度の株式売買回数は、実数では五〇回を越えていたと後になってから判っておりますが、この時点では四〇回くらいであると判断していました。」(坂本検面調書四丁表)

「五〇回を越える虞があったので奥さんの名義を使ったわけですが、」(同五丁裏)

とされている。

4 これは坂本のてん末書でも同様であり、

<1> 「昭和六一年六月ごろまでの取引が五〇回に近くなり」(昭和六二年九月一〇日付てん末書三丁裏)

<2> 「昭和六一年六月下旬、社長から私に電話があり取引回数を正確にカウントして欲しいと話がありましたので、私は自己の手控え用の株式委託注文伝票(控え)から、銘柄別に売りを一回買いを一回とし、メモ用紙に書き出し取引回数を計算したところ、昭和六一年六月二〇日で取引回数が四八回になっておりました。」(同九月二二日付てん末書六丁裏))

<3> 「私が会社に行き社長に『総括表で売買を行なっているので大丈夫ですが、このままでいけば、五〇回の取引回数を越えます。』と説明しました。」(同てん末書六丁裏、七丁表)

<4> 「そこで、今後の対策として総括表を使って五〇回の回数までの取引を行なうか、取引をやめるかどちらかですと申し上げました。」(同てん末書七丁表、裏)

<5> 「三洋証券に妻名義で預けてある国際電電(KDD)の株を担保に入れて妻名義で取引を行なえば、自分名義の取引が五〇回を越えることがないので、妻名義で信用取引口座を開設して欲しいという話がありました。」(同てん末書七丁裏、八丁表)

とされている。これらの内容は被告人名義の取引回数を五〇回以上にしないようにするために教江名義を借用したという点で、検面調書と共通した内容であると言ってよい。しかしながら、五〇回以上にならないようにと思いついたときの状況、すなわち昭和六一年六月当時の被告人名義の取引回数及び教江名義の取引を始めた理由についての供述内容が、検面調書とてん末書、さらに右てん末書相互も微妙に違っている。すなわち

イ 回数が五〇回に近づいたから(九月一〇日付てん末書)

ロ (坂本の数え方によれば五〇回に近いとは言えないが、)その他の計算方法では五〇回に近づいたから(九月二二日付てん末書)

ハ (五〇回に近いわけではないが)遅かれ早かれ五〇回を越える虞があったから(検面調書)

という三種類に分けることができる。

しかし、前述のように坂本のてん末書ないし検面調書の回数の数え方及び教江名義の取引を始めた理由についての右供述部分は、全く信用性がないものである。

すなわち、第一に、右のイ~ハのいずれも、事実に反する。すなわち、坂本は一日売り一回、買い一回という計算方法によっていたから、昭和六一年六月時点では二〇数回ないし三〇数回(六月二一日の時点で二八回ないし三四回)であり、とうてい四〇回に近づいたとか五〇回を越える虞があったとかとは言えないし、また坂本は自分の計算方法が正しいと考えて右のような方法を採用していたのであるから(そうでなければ意味がない)それ以外の計算方法で何回になろうと、それが坂本や被告人の行動の動機になるはずがない。

第二に、当初教江名義の取引を始めた理由について嘘をついていた坂本が、次第に真実を供述するようになり、最終的な右ハが正しい理由であると考えることも不可能である。まず、イ、ロは嘘をついていたということになるが、坂本にはそれについて嘘をつく必要も、合理的理由も全く考えられないからであり、また、右にも述べた通り、右ハ自体が、調査段階から公判段階まで一貫して供述しており信用性がきわめて高い坂本の回数の計算方法と矛盾し、信用性に乏しいものであるからである。

第三に、二〇数回とか三〇数回で五〇回を越える虞があるというのであれば、いつの時点でも五〇回を越える虞は常にあったということになり、教江名義の取引を始めたのがなぜ六月二一日になったのかを全く説明できていないからである。

5 さらに動機に関しては、右の取引回数の制限の潜脱とは関係のない、それらとは全く違った動機を坂本が供述しているてん末書がある。すなわち昭和六二年九月一一日付てん末書では、

「教江名義の口座を開設(信用取引)するに至った理由については望月滿夫さんの信用取引口座の代用証券の担保枠が限度いっぱいであり、それ以上の取引を行なうには現金で保証金を積まねばできない状況にありました。」

とされているのである。

そこでこれを他の証拠特に客観的証拠と照らし合わせて検討すると、担保不足という事実は客観的証拠に照らして事実として認められる。したがって、右理由のみが教江名義の取引を始めたのが六月になったことを説明できるのである。また被告人自身が教江名義の信用取引を開始した昭和六一年六月二一日以降も自分名義の取引を継続した事実とも整合する。加えて、回数のことが理由であれば教江名義の取引も五〇回近く行なっていいはずであるが、そうでないのは、被告人は単純に回数を多くやりたかったのではなく、むしろ六月時点で教江名義の取引をしたかったことが理由であると考えられる。もちろん担保不足という右事実は、坂本が公判廷でも証言していること、さらにそれは被告人の公判廷での供述内容とも一致している点でも信用性がきわめて高いと考えられる。

以上のように、回数制限の潜脱という動機の前提となる昭和六一年六月時点の回数の数え方についてのてん末書ないし調書の内容が事実に反すること、逆に右のように担保不足という理由が客観的証拠に合致することからすれば、被告人が教江名義の信用取引を開始した理由は、担保不足にあったのが事実であると考えられる。

6 これについて真実が担保枠の不足ということであったとしても、それを隠ぺいする目的で回数制限を潜脱するため、という虚偽の動機を坂本が供述する理由は全くない。しかもいったんは右のように担保枠の不足という真実の供述をしているのである。回数制限の潜脱という虚偽の理由について坂本の側に理由がないのであれば、このような動機は査察官や検察官の思惑によって作られたものと断ぜざるを得ない。これは最初の九月一〇日の坂本のてん末書、被告人のてん末書によって作られたものと考えられる。この当時は査察官は売買報告書による正確な計算ができていないため勝手な推測によって、一般的な動機を査察官が思いつきてん末書を作成したと考えられる。

すなわち、一般的に他人名義の借用をするのは回数制限の潜脱のためであることがほとんどで、しかも査察官は、そのような例を職務上多数知っていたのである。したがって、被告人が教江名義の株式取引の注文を出していたという事実をつかんだだけで、国税局査察官らは、それが回数制限を潜脱する目的での名義借用という予断を持っていたのである。

そこで、査察の当初は、回数制限の潜脱目的であり、教江名義の取引が年度の途中である六月二一日から開始されているという事実から、六月になって回数制限の制約を逃れる必要が生じた、すなわちその時点で被告人名義の取引回数が五〇回に近づいたと証拠も検討しないまま想定し、その旨のてん末書を被告人からも坂本からも(坂本については九月一〇日付てん末書)作成したのである。また、その時点では、査察官は教江名義の取引を始めた以降は「五〇回に近づいた」被告人名義の取引は中止したものだと思いこんでいたのである。

そして、たまたま被告人自身は回数の数え方も知らず、実際に数えたこともなかったため、六月段階で「五〇回に近づいた」というてん末書を作成しても問題はなかった。しかるに、坂本については、坂本自身の回数の数え方が明確であり、その数え方と「六月段階で五〇回に近づいた」という虚偽の事実とははっきり矛盾することになってしまった。そのため、右近づいたというときの数え方は、坂本が使用している数え方ではなかったという、不合理な言い訳で取り繕ってみたのである(九月二二日付てん末書)。しかし、それはむしろ取り繕っただけであることがてん末書上も明らかであり、不自然であったため、結局検面調書では「五〇回を越える虞があった」という曖昧な内容で右の矛盾を覆い隠すような内容にしたのである。

右の事実は、被告人が九月一一日の調査の際に松原査察官から「なんだ、望月さんは、六月以降もやっているんだな」と驚いたように言われた(第一審第九回公判での被告人の供述・速記録五丁表)ことからも裏づけられる。一〇日の段階では、松原は、六月二一日以降被告人名義の取引を続けていたことすら把握していなかったのである。

以上のように、被告人が教江名義の信用取引を開始した理由が担保枠の不足であるということであるとすると、教江名義の取引を開始した理由は回数制限の問題とは直接関係がないことになり、名義借用による回数制限の潜脱の方法による脱税という本件犯行自体の存在を疑わせることになる。もちろん、坂本の検面調書は、坂本の体験供述ではなく、検察官の思惑に迎合した内容になっていることから、特信状況があったとは言えないことは明らかである。

八 客観的事実に反する部分

1 坂本の検面調書では「国税査察を受けてから望月さんは建て玉をすべて処理し、望月教江名義の株式は三洋証券には一切ありません。」とされているが、これは客観的事実に反する。坂本は、被告人の担当であり、教江名義の取引の担当者でもあったのだから、このような誤った事実を供述するとは考えられない。この事実に反した供述部分は、検察官の方から誤導的に出された事実であろう。

2 すなわち、坂本の検面調書が作成された昭和六三年二月一九日の一日前に作成された被告人の検面調書に「六二年一二月には望月教江名義で信用取引で建てた株は清算しました。」との部分がある。これは、事実に反しているが、右坂本の検面調書の内容と符号している。そして、右のように誤った事実は、被告人の検面調書以外には証拠がない。したがって、坂本の検面調書の右部分は、それ以外の起源が考えられないのである。そして、被告人の検面調書が起源であるとすれば、これは検察官によって坂本の検面調書の引き継がれたといわざるを得ないのである。

3 以上の事実は、坂本の取調、調書作成時において、少なくとも調書の内容が検察官の思惑によって虚偽の事実が盛り込まれてしまうような状況があったこと、そしてその誤りに坂本が迎合し、あるいは坂本が訂正を求めることなく署名してしまうような状況があったことを意味する。

4 これは一般的な意味での検察官の権威ないし圧力、そして坂本自身にも検察官の事実認識に対する迎合的態度が存在したからと言うべきであろう。そして、これこそ検面調書の作成に関して信用性を失わせる状況そのものであると言わざるを得ない。

九 検面調書で望月信子のことを「女の事務員」と記載されていること

1 次に、事実としてはごく些細なように見えることではあるが、坂本の検面調書では望月信子のことを「女の事務員」と表現していることも、その信用性並びに特信状況を疑わせる事実の一つであると考えられる。

2 坂本は、三洋証券静岡支店に赴任してすぐに被告人の担当者となり、毎日のように通常望月信子が受話器をとっている被告人の会社事務所に電話をかけていたのみならず、同人が経営し、望月信子が事務を担当しているその静岡冷凍設備の事務所を再三訪問しており、望月信子と顔なじみであると同時に、同人を通して被告人の書類を授受したり、被告人の書類に署名をしてもらったりしていたのである。加えて、望月信子自身も三洋証券静岡支店で株式取引をしており、その担当者は坂本自身であったのである。したがって、坂本が望月信子のことを、「女の事務員」と言うはずがなく、実際そうであるようにてん末書では「信子さん」と一貫して記述されているのである。

3 しかるに、検面調書で右のような表現になったのは、結局検察官が坂本の供述を録取していったというよりは、それまでに作成されていたてん末書をもとにして、多少表現を変えて検面調書を勝手に作成したからである。少なくとも、仮に一部であったとしても検面調書がそのような状況で作成されたことは、明白である。

4 しかも、「女の事務員」の部分は、坂本の検面調書中もっとも本件で重要な、取引名使用届出書を作成した当時被告人がその場に同席していたという事実と結びついた部分であることからすると、単に望月信子が「女の事務員」と記述されているだけの問題ではなく、それに関連する供述全体の信用性にも影響を及ぼすものと考えられる。

5 以上の通り、右の事実もまた、坂本の検面調書の内容の信用性に大いに疑問を抱かせる事実であり、また特信状況があったことについても大いに疑問を抱かせる事実である。

一〇 結論―坂本の検面調書は信用性に乏しく、特信状況も存しないこと

以上の通り、坂本の検面調書は、検察官の捜査において明らかにされるべききわめて重要な事実であったはずの坂本や被告人の前記のような主観面の事実について欠落していること、さらに理由のない不合理な変遷があり、しかもそれが結果的に坂本が教江名義の取引は借名取引であるとの意識がなかったことを浮かび上がらせていること、その他調書の内容が不合理でありあるいは客観的事実に反する部分があることなどが明らかとなった。

これは、結果的に坂本の検面調書の信用性がないことを意味するとともに、さらにそれらの内容が坂本の体験した事実とは違っていることなどからすれば、坂本が一貫して証言しているように、調査段階より坂本としては査察官の証券会社に対する権力への不安、あるいは査察官の意見に逆らうことができないことからくる諦め、その他調査段階ですでに事実に反したてん末書を作成しているというなげやりな気持ちから、検察官に対しても虚偽の供述をせざるをえなかったと言うべきであり、検面調書はその作成時、とうてい刑事訴訟法三二一条一項二号の特信状況があったとはいい難いことは明らかである。

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